関塚 隆(Takashi SEKIZUKA)
フルネーム 関塚 隆(セキヅカ タカシ)
国籍 日本  
出身地 千葉県船橋市
生年月日 1960・10・26
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1991〜92 早稲田大学
1993〜94 鹿島アントラーズコーチ
1995〜95 清水エスパルスコーチ
1996〜03 鹿島アントラーズコーチ・監督代行
2004〜08 2009〜09  川崎フロンターレ
2010〜12 ロンドンオリンピック日本代表
2013〜13 ジュビロ磐田
2014〜16 ジェフ千葉
獲得タイトル  
現役時代は俊敏性に長けたWGで、闘争心溢れるプレーは観客から支持されました。本田技研(現ホンダFC)に入社して宮本征勝監督のもとでプレーし、ルーキーイヤーの84シーズンは11ゴール4アシストで新人王を獲得しました。1991年にユニフォームを脱いでいます。

鹿島コーチ時代は、クラブの伝統である4バックを採用していた時期がありましたが、川崎Fで指揮を執るようになってからは、こちらもクラブ伝統の3−5−2を踏襲します。前線から最終ラインをコンパクトに保ち、ポゼッションを高めた全員攻撃、全員守備を掲げます。スカウティング能力や人心掌握術、若手育成にも実力を発揮し、川崎FをJ有数のクラブに育てました。
普段は冷静ですが、試合になると全身から闘志をみなぎらせます。ベンチにはほとんど座らず、テクニカルエリアからオーバーアクションを交えて指示を送ったり、叱咤したりします。

千葉県船橋市に生まれ、小学5年からサッカーを始めます。八千代高時代は2年次にインターハイに出場し、3年次には全国選手権でベスト4に進出しました。この活躍で注目を浴びて多くの大学からオファーを受けるものの自身は早大進学に固執します。推薦は来ず一般入試も失敗したので、1年間浪人生活をしました。1年後に早大に合格してサッカー部に入部し、宮本監督と出会います。大学リーグでは筑波大など強豪がひしめいていたためタイトルには恵まれませんでした。その後JSLでのプレーを経て、1年間は母校の早大でコーチを務めました。
1993年、Jリーグの開幕と同時に恩師宮本監督の誘いを受けて鹿島のコーチに就任。93シーズンの1stステージを制する貴重な経験をしました。翌95シーズンは宮本監督の清水就任に伴い、自身も後に続き清水でコーチを務めました。しかし1stステージで12位、天皇杯の初戦敗退など成績不振で監督が解任され、自身も鹿島に復帰しました。
その後1997年にJリーグで指揮を執るために必要なS級ライセンスを取得し、短期間ながら監督代行も務めました。また、ジーコや長期政権を築いたT・セレーゾの下でコーチの勉強を続け、鹿島の黄金時代を影ながら支えたのです。
04シーズンよりJ1昇格を逃した川崎Fに招聘され、キャリア初の監督となります。自身が指導した経験豊富なDF相馬直を獲得すると、トップ下の中村憲をボランチにコンバートし、横浜FMユースから獲得したMF谷口とコンビを組ませました。そして入団2年目のジュニーニョ、生え抜きのFW我那覇の2トップが合計59得点をマークする攻撃力を武器に勝ち点105、得点104、失点38という圧倒的な強さを見せ、00シーズン以来のJ1復帰に導きました。
初めてのJ1での采配となる05シーズン、序盤戦は連敗もありましたが持ちこたえ、9月から10月に掛けて6連勝して波に乗り、18チーム中8位と堂々の戦いぶりを見せました。
06シーズンは今までの組織を熟成させます。中村と谷口の攻撃力を生かすために中盤の守備をマンマークからゾーンに変更しました。その結果年間84得点とリーグ最多を記録。浦和、G大阪と優勝争いを展開し、リーグ2位と大躍進を果たしました。
07シーズンはGK川島を獲得して正守護神に据え、DF寺田ら不動の3バックとの連係も機能します。クラブ初の海外での試合となるACLではベスト8になり、過密日程ながらリーグ5位、天皇杯ベスト4、ナビスコ杯準優勝と結果を残します。08シーズンは千葉から山岸智、東京Vからフッキをレンタルバック(すぐに退団)した他、FWチョン・テセの成長やDF寺田の代表初招集などタイトル獲得に向けて戦力が整いましたが、シーズンに入りチームは低迷、自身も体調不良により志半ばで辞任します。体調が回復した後は解説者を務め、09シーズンに川崎Fに復帰しますが、リーグ2位、ナビスコ杯準優勝と惜しくもタイトル獲得はなりませんでした。
その後再び解説者を務め、2010年夏に2年後の五輪を目指す代表監督に就任します。11月のアジア大会では永井謙が得点王になり、準決勝イラン戦での1失点のみと攻守にほぼ完ぺきな内容で初優勝を果たします。五輪予選では2次予選をクウェート相手に連勝し、最終予選ではシリア相手に苦戦しましたが、それ以外は完封して5大会連続での出場権を獲得します。トゥーロンでは高木善や指宿、宇佐美と海外でプレーする攻撃陣を集め、グループリーグではオランダに次ぐ5得点を挙げましたが、半面7失点と守備が崩壊して敗退しました。
五輪本大会メンバーでは大迫、原口、比嘉などを外し、オーバーエージではフル代表のレギュラーで北京に出場した吉田麻、アテネを経験した徳永を呼びます。これにより守備力は著しく上昇し、本大会では豊富な運動量での前線からのプレスと素早い攻守の切り替えで、スペインとモロッコを圧倒します。準々決勝エジプト戦でも吉田や波に乗る大津の得点で3−0と完勝して44年ぶりのベスト4進出と下馬評を覆す結果を残します。しかし先制点を決めた永井の負傷で戦術が崩れ、準決勝では直前の強化試合で勝ったメキシコに3失点し、3位決定戦も韓国に敗れて惜しくも銅メダルを逃しました。
13シーズン途中に低迷する磐田の再建を託され、4年ぶりにJで采配をふるいます。しかし状況は好転せず、95シーズンの昇格以来戦ったJ1から陥落し、自らは退任しました。
2014年W杯で解説者を務めた後、J2千葉のオファーに応えます。1年目は昇格プレーオフで敗退、2年目は9位に終わり、チームの半数以上を入れ替えて臨んだ3年目も昇格圏内に届かず、途中で解任されています。

2008年4月27日:新規アップ 2016年7月26日更新

04川崎フロンターレ
  我那覇和樹  
マルクス ジュニーニョ
アウグスト 長塚康弘
久野智昭 中村憲剛
伊藤宏樹 箕輪義信
  寺田周平  
  吉原慎也  

06川崎フロンターレ
ジュニーニョ我那覇和樹
 マギヌン 
マルコン森勇介
谷口博之中村憲剛
伊藤宏樹箕輪義信
 寺田周平 
 相澤貴志 

12U−23日本代表(五輪ベスト4)
 永井謙佑 
 東慶悟 
大津祐樹清武弘嗣
扇原貴宏山口螢
徳永悠平酒井宏樹
吉田麻也鈴木大輔
 権田修一