マーク・シュウォーツァー(Mark SCHWARZER)
フルネーム マーク・シュウォーツァー
国籍 オーストラリア シュウォーツァー
出身地 シドニー
生年月日 1972・10・6
身長 196cm
体重 86kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1993・7・31
カナダ戦
代表背番号
W杯メンバー 06年 10年
ニックネーム  
個人タイトル 93オーストラリアリーグ年間最優秀GK
チームタイトル 92/93オーストラリアリーグ
95/96DFBカップ
03/04イングランドリーグ・カップ
15/16プレミアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
91/92 マルコーニ・スタリオンズ 10
92/93 マルコーニ・スタリオンズ 29
93/94 マルコーニ・スタリオンズ 29
94/95 ディナモ・ドレスデン(ドイツ2部)
95/96 カイザースラウテルン(ドイツ) 27
96/97 ブラッドフォード(イングランド2部) 13
96/97 ミドルスブラ(イングランド) 19
97/98 ミドルスブラ(イングランド2部) 1 35
98/99 ミドルスブラ(イングランド) 1 34
99/00 ミドルスブラ(イングランド) 1 37
00/01 ミドルスブラ(イングランド) 1 31
01/02 ミドルスブラ(イングランド) 1 21
02/03 ミドルスブラ(イングランド) 1 38
03/04 ミドルスブラ(イングランド) 1 35
04/05 ミドルスブラ(イングランド) 1 31
05/06 ミドルスブラ(イングランド) 1 27
06/07 ミドルスブラ(イングランド) 1 36
07/08 ミドルスブラ(イングランド) 1 34
08/09 フルハム(イングランド) 1 38
09/10 フルハム(イングランド) 1 37
10/11 フルハム(イングランド) 1 31
11/12 フルハム(イングランド) 1 30
12/13 フルハム(イングランド) 1 36
13/14 チェルシー(イングランド) 23
14/15 チェルシー(イングランド) 23
14/15 レスター(イングランド) 32
15/16 レスター(イングランド) 32
16/17 レスター(イングランド) 32    
長身で鋭い反応が特長で、PKに絶対的な自信を持ち、抜群の安定感を誇るオーストラリア代表の正守護神。世界最高峰のプレミアリーグで確固たる地位を築いています。

ドイツ人の両親の下、シドニーで生まれ、16歳でプロのキャリアをスタートさせます。M・スタリオンズに在籍し、後にイタリア代表になるFWヴィエリともプレーしました。
94/95シーズンから海外生活を始めます。カイザースラウテルンではドイツ杯を手にしますが、リーグでの出場機会はごくわずかなものとなりました。
1996年11月にイングランドへ渡り、2部のブラッドフォードでの13試合出場を経てミドルスブラへ加入。ストックポートでのリーグ杯準決勝でデビューし、2−0の勝利に貢献しました。
その後足を骨折したため戦線を離脱し、チームもこの影響もあって降格となりましたが、復帰後は不動の守護神としての座を確立させていくことになります。
03/04シーズンのリーグ杯では、4回戦と準々決勝のPK戦で勝利を引き寄せ、ボルトンとの決勝でも素晴らしい活躍でクラブ史上初タイトルをもたらすと、翌シーズンにはこの勝利を受けてUEFA杯に10試合出場して決勝トーナメント2回戦に進みました。国内リーグではファウラーのPKを止めてマンチェスター・Cに勝ち、争っていたUEFA杯出場権を手にしました。
05/06シーズンはUEFA杯で11試合に出場して決勝進出を果たしますが、セビージャの前にクラブ初の欧州タイトル獲得はなりませんでした。06/07シーズンのFA杯5回戦ブリストル戦では2本のPKを止めるなど、ここぞという時に幾度もチームを救いました。
07/08シーズンを最後に11年で367試合に出場したクラブに別れを告げ、バイエルンやユヴェントスから興味を示される中、フルハムと2年契約を結びます。2年目はマンチェスター・Uとのアウェー戦で大敗するものの、ホームでは完封します。この試合など15試合を完封し、前年の60から34と失点を減らしてクラブ史上最高のリーグ7位に導きました。翌シーズンは開幕こそケガで出遅れましたが、ヨーロッパ・リーグで8試合戦い準優勝の立役者となりました。
13/14シーズンにチェルシーへフリーで移籍してバックアッパーに専念します。2年目の途中にレスターへ移り、K・シュマイケルのバックアッパーとなっています。

1989年のU−17世界選手権で3試合プレーした後、1993年7月31日、翌年のW杯予選大陸間プレーオフとなるカナダ戦でフル代表デビューを果たします。
マンチェスター・Uで戦うボスニッチの前に出番を得られず代表を離れたこともありましたが、2001年コンフェデ杯で5試合出場して3位、2002年W杯予選に4試合出場しました。
2005年コンフェデ杯にて両親の母国でのプレーを実現させ2試合出場。翌年のW杯予選は終盤に復帰し、ウルグアイとの大陸間プレーオフでD・ロドリゲスとサラジェタのPKを止め、32年ぶりの出場権獲得に貢献。本大会では正守護神として4試合戦いベスト16に進みました。
母国がアジア枠になり、初出場した2007年アジア杯では日本にW杯の雪辱を許しましたが、初出場でベスト8とポテンシャルの高さを改めて示しました。
2010年W杯予選では14試合で4失点という堅守を披露しましたが、本大会ではドイツに4点を献上するなど、2大会連続のベスト16入りはなりませんでした。
2011年アジア杯では韓国戦の1失点のみで日本との決勝に進みましたが、李忠成に左足ボレーを決められ準優勝に終わります。2014年W杯予選も13試合と引き続き存在感を示しましたが、終了後に代表引退を表明しました。
代表記録

余談
・架空のサッカー選手の物語を描いた子供向けの本を執筆しています。
2009年2月11日:新規アップ 2016年6月8日更新