トーマス・シャーフ(Thomas SCHAAF)
フルネーム トーマス・シャーフ
国籍 ドイツ
出身地 マンハイム
生年月日 1961・4・30
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1999〜13 ブレーメン
2014〜15 フランクフルト
2015〜16 ハノーファー
獲得タイトル 03/04ブンデスリーガ
03/04DFBカップ
04ドイツ年間最優秀監督
11歳でブレーメンに加入以来、30年以上も身を置く生えぬきの監督。現役時代はDFとして活躍し、1979年に17歳でトップデビュー。日本代表の奥寺康彦ともプレーし、リーグ優勝2回やカップウィナーズ杯などのタイトルにも恵まれました。U−21レベルの代表経験もあります。
「ミスター・パーフェクト」と呼ばれる堅実な守備でチームを支え、リーグ通算262試合で13ゴールの数字を残し、1995年に現役を引退しました。

守備的MFやDFも攻める攻撃サッカーを志向。選手にはリスクを恐れないチャレンジ精神を求めます。中盤の強力なプレッシングと、それを絶え間なく実行する運動量で相手を圧倒します。相手に合わせて戦術を変えず常に攻撃一辺倒ですが、その分失点も多く試合によっては打ち合いになります。また、下部組織で長年指導しただけあり若手の育成にも定評があります。
基本的にトップ下を配置し、その周辺を運動量豊富な選手が固める4−3−1−2のフォーメーションを採用しています。

現役でプレーしながら1987年より下部組織で指揮を執ります。引退後は正式に指導者となり、1999年5月にトップに昇格しますが、シーズンは降格を逃れるのがやっとでした。
クラブが敏腕なスポーツディレクターを招へいし、自身の意向に沿った選手の獲得が可能となり上位に浮上します。DFバウマン、MFにヘルツォーク、フリンクス、FWにはブラジル人のアイウトンやピサロなどの戦力がそろっていましたが、バイエルン、ドルトムント、レヴァークーゼンの3強がしのぎを削っていたため、UEFA杯出場を目標にしていました。
しかし01/02シーズンに長年主力となるボロフスキとクラスニッチ、02/03シーズンはパルマで出場機会が減っていたフランス代表ミクーを獲得します。戦力が整った翌シーズンはミクーがトップ下でタクトを振るい、クラスニッチとアイウトンの2トップがゴールを量産、特に後者は28ゴールで得点王を獲得しました。チームも彼らの活躍に比例して勝利を重ね、10節から32節までを無敗と圧倒的な強さを見せて11シーズンぶりのリーグ優勝とカップ優勝の2冠を果たしました。個人としては、スペインの「AS」紙により未来のベスト監督にも選ばれています。
その後アイウトンがシャルケに去りましたが、その穴埋めに獲得したクローゼが05/06シーズンに得点王になるなど在籍した3シーズンで53ゴールをたたき出しました。チャンピオンズ・リーグでもウディネーゼとパナシナイコスをかわし、決勝トーナメントに進みました。
06/07シーズンにミクーが去り、ヂエゴを獲得する的確な補強で戦力が保たれるなど、チームをリーグ屈指の強豪に仕立て上げた手腕は高い評価を受けます。08/09シーズンはUEFA杯こそ決勝に進んだものの、国内リーグでは10位と大きく後退、それに加え大黒柱のヂエゴをユヴェントスに引き抜かれました。09/10シーズンの序盤はエジルの成長により、一度は廃止した司令塔を置くシステムを復活させます。そして3節以降公式戦23戦無敗と好調を維持しました。後半に負けが込んできた時は成長株のマリンのポジションを2列目に配置してポゼッションサッカーで復調し、2年ぶりのチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。
10/11シーズンはエジルがR・マドリーに引き抜かれ、マリンをトップ下に置きます。しかし主力のCBナウドが長期離脱し、メルテザッカーやフリンクスとチームの屋台骨を支える面々が精彩を欠いて13位に終わります。チャンピオンズ・リーグでもインテルとトッテナムの前にグループリーグで敗退しました。翌シーズンも司令塔マリンと守護神ヴィーゼが離脱するなど苦戦を強いられ9位に終わりました。さらにこの両輪の退団も決定したため新たな構想を練る必要に迫られ、エリアとアルナウトヴィッチを軸にサイド攻撃を標榜します。しかし共に結果を残せず、ハントやデ・ブルイネといった攻撃的MFが2ケタゴールと健闘し、1部に残留しました。しかし12/13シーズンを最後に監督で14年間、ユース時代から41年間在籍したブレーメンに別れを告げました。
1年フリーで過ごし、14/15シーズンにフランクフルトに就任します。得点王になるマイアーとスイス代表セフェロヴィッチの2トップに、チーム最多出場となる長谷部の献身などもあり、2年ぶりの一ケタ順位を達成して退任しました。
15/16シーズンの途中に低迷するハノーファーに就任します。しかし1勝10敗と精彩を欠いて解任されています。

2008年2月14日:新規アップ 2016年4月6日更新

03/04ブレーメン(国内リーグ・カップ優勝)
クラスニッチ アイウトン
  ミクー  
エルンスト リステシュ
  バウマン  
シュルツ スタルデリ
クルスタイッチ イスマエル
  ラインケ  

08/09ブレーメン(UEFA杯準優勝)
ロセンベリ ピサロ
エジルフリンクス
バウマンニーメイアー
ボエニシュフリッツ
ナウドプレードル
 ヴィーゼ