澤登 正朗(Masaaki SAWANOBORI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 澤登 正朗(サワノボリ マサアキ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 静岡県富士宮市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1970・1・12 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 170cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 66kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1993・4・8 タイ戦 |
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代表背番号 | 16 18 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ノボリ ミスターエスパルス |
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個人タイトル | 93Jリーグ新人王 | ||||||||||||||||||||||||||||
99Jリーグベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
06Jリーグ功労選手賞 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 96ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
99セカンドステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
99/00アジアカップウィナーズ・カップ | |||||||||||||||||||||||||||||
01/02天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
92 清水エスパルス | |||||||||||||||||||||||||||||
93 清水エスパルス | 35 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
94 清水エスパルス | 41 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
95 清水エスパルス | 40 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
96 清水エスパルス | 29 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
97 清水エスパルス 10 | 31 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
98 清水エスパルス 10 | 32 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
99 清水エスパルス 10 | 28 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
00 清水エスパルス 10 | 27 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
01 清水エスパルス 10 | 26 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
02 清水エスパルス 10 | 29 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
03 清水エスパルス 10 | 14 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
04 清水エスパルス 10 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05 清水エスパルス 10 | 25 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
テクニックと戦術眼を併せ持ち、ミドルシュートやロングパスで局面を打開します。中盤から長短のパスでゲームメークをすることもあれば、豊富な運動量もあり汗かき役にもなれます。 また、精度の高いFKでゴールを狙います。有効なスペースへ走りこむことも得意でSTとしてもプレーできる攻撃のマルチプレーヤーです。 サッカーの盛んな静岡県で生まれ、5歳でボールを蹴りはじめます。地元の小学校のサッカーチームに入り練習に励み、アイスホッケーや野球もこなすスポーツ少年でした。 自宅近くの中学にサッカー部がなかったため東海大第一中に入学し、そのまま東海大第一高校(現・東海大翔洋高)に上がります。FWアデミール・サントス(現三渡洲アデミール)やDF大嶽直らと共に2年時は選手権制覇を成し遂げました。 3年生の時は準々決勝でMF礒貝や本田泰、FW森山を擁する帝京と対戦し、PK戦で勝利しました。決勝は国見と対戦し敗れて準優勝となりました。その後の東海大でも1年からレギュラーに座り、礒貝らと共に大学選手権を制しています。 1992年に地元静岡の清水に入団しました。翌年、Jリーグ開幕戦の横浜F戦に出場してデビューを果たし不動の司令塔として、長谷川健太、大榎克巳らと攻撃を担当します。チームは1年を通して安定した成績を残し、Jリーグの初代新人王に輝きました。 ナビスコ杯でも92,93シーズンはV川崎(現東京V)の前に涙をのみましたが、96シーズンに雪辱を果たし初めて栄冠を手にしました。 98シーズンは、1stステージ第12節ホーム神戸戦でハットトリックを達成し、自身3度目の年間2ケタゴールを記録しました。翌99シーズンは自身初のステージ優勝を果たし、チャンピオンシップでも敗れはしましたが、2試合ともゴールを挙げます。特に2戦目の直接FKは後世に語り継がれるものでした。この活躍が認められ、意外なことに8年目にして初めてベストイレブンに選出されました。2000年にはアジアカップウィナーズ杯を獲得しています。 2002年7月27日東京V戦にて、リーグ300試合を達成しました。05シーズンが終了した11月23日に現役引退を表明しました。 バルセロナ五輪を目指すチームのキャプテンに指名され、永井秀樹、名波浩、藤吉信次らとともに予選を戦いました。しかし最終予選では1勝しかできず、本大会出場はなりませんでした。 フル代表デビューは1993年4月8日のタイ戦。ラモスや福田のバックアッパーとして1994年W杯予選を戦い、5月7日のUAE戦で引き分けに持ち込むミドルを決めて代表初ゴールをマークし、一次予選通過に貢献。しかし、「ドーハの悲劇」をベンチで味わっています。 代表記録 16試合3得点 2006年10月31日:新規アップ 2012年3月1日更新 |