ハビエル・サビオラ(Javier SAVIOLA)
フルネーム ハビエル・ペドロ・サビオラ
国籍 アルゼンチン※
出身地 ブエノスアイレス
生年月日 1981・12・11
身長 168cm
体重 60kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2000・8・15
パラグアイ戦
代表背番号
W杯メンバー 06年
ニックネーム コネホ=ウサギ
個人タイトル 99南米年間最優秀選手(エル・パイース誌)
99/00アルゼンチン前期リーグ得点王
01FIFAワールドユース得点王(11得点)・最優秀選手
チームタイトル 01FIFAワールドユース
05/06UEFAカップ
07/08リーガ・エスパニョーラ
09/10ポルトガルリーグ
09/10~11/12ポルトガルリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98/99 リーベル・プレート 20
99/00 リーベル・プレート 31 17
00/01 バルセロナ(スペイン) 7 35 20
01/02 バルセロナ(スペイン) 7 36 17
02/03 バルセロナ(スペイン) 7 36 13
03/04 バルセロナ(スペイン) 7 33 14
04/05 モナコ(フランス) 9 29
05/06 セビージャ(スペイン) 7 29
06/07 バルセロナ(スペイン) 22 18
07/08 レアル・マドリー(スペイン) 24
08/09 レアル・マドリー(スペイン) 9
09/10 ベンフィカ(ポルトガル) 30 27 11
10/11 ベンフィカ(ポルトガル) 30 23
11/12 ベンフィカ(ポルトガル) 30 18
12/13 マラガ(スペイン) 9 27
13/14 オリンピアコス(ギリシャ) 9 25 12
14/15 エラス・ヴェローナ(イタリア) 7 15
15 リーベル・プレート 11 13
16     
前歯が目立つ顔つきからスペイン語でウサギを意味する「コネホ」の異名通り、素早い身のこなしで相手DFを置き去りにします。パスセンスやドリブルスキル、ゴールへの嗅覚を併せ持ち、攻撃的なポジションを一通りこなせます。

ブエノスアイレスでも富裕層の多いベラグラーノ地区で生まれ育ち、9歳の時にサッカーを始めます。1990年にリーベルの幼年部に加入、1998年に弱冠16歳でトップチームに上がり、1998年10月18日ヒムナシア・フフイでのデビュー戦をゴールで飾ります。
1999年にはリーグ優勝を果たします。相手DFをかいくぐりゴールを重ね、アルゼンチンリーグ史上2番目の早さ(1位はマラドーナの18歳と1日、サビオラは18歳と9日)で得点王に輝き、南米最優秀選手に選出されました。ちなみにトップ下のアイマールもこのときの優勝メンバーで、彼の好アシストも得点王になった要因の一つと言えます。
2001年、数々のクラブからオファーが殺到。約28億円でバルセロナへ移籍し、クライファートやリヴァウドと前線を組んでゴールを量産します。02/03シーズンはファン・ハール監督の戦術に合わずベンチに座ることが多くなりチームも低迷しますが、途中から指揮を執るアンティッチ監督により出場機会を獲得、本拠ベティス戦でのハットトリックなど個人技を駆使してサポーターを魅了します。翌シーズンも3試合連続ゴールを2度、本拠地でのエスパニョールとのダービーでも1試合2ゴール、UEFA杯でも7試合3ゴールと安定した働きを見せました。
04/05シーズンにモナコへレンタルされます。9月19日PSG戦でリーグアンにデビューし、本拠ニース戦で初ゴール。チャンピオンズ・リーグでも7試合4ゴールと存在感を示します。セビージャではUEFA杯で6ゴールを挙げて優勝し、クラブでの初タイトルを獲得します。リーグではゴール数こそ少なかったものの、R・マドリーとの最終節で2ゴールを決めました。
06/07シーズンにバルセロナに復帰します。ライカールト監督の構想には入れませんでしたが、国内カップではアラベスとの両試合で5ゴールを挙げます。前後するリーグ戦も含めて1月は計8ゴールと大暴れして、サポーターから大いに支持されました。
07/08シーズンに宿敵R・マドリーと3年契約を結びます。後輩イグアインの活躍など豊富な選手層でベンチでの時間が長くなり、結局2年でわずか4ゴールにとどまりました。
そしてベンフィカへ完全移籍します。2009年8月16日マリティモ戦でデビューすると、パラグアイ代表カルドーソと2トップを組み、アイマールとの阿吽の呼吸で久々の2ケタゴール、ヨーロッパ・リーグでも7試合4ゴールをマークしベスト8になります。2年目も9ゴールでリーグ2位となり、リーグ杯を制覇、ヨーロッパリーグではPSV戦でゴールを挙げてベスト4になりました。
12/13シーズンにマラガへ移って同い年のホアキンや若いイスコと共存し、国内リーグで8ゴール。チャンピオンズ・リーグでは1ゴールと振るいませんでしたが、ベスト8になりました。
13/14シーズンにオリンピアコスへ移り、8月19日カロニとの開幕戦でギリシャリーグデビュー。3試合連続ゴールを2回決めるなど、ミトログルやJ・キャンベルと共に攻撃の中心としてリーグ優勝に貢献。チャンピオンズ・リーグではアンデルレヒト戦で2ゴールを挙げました。
14/15シーズンにH・ヴェローナへ完全移籍し、9月24日ジェノア戦でセリエAにデビューします。しかし得点王になるCFトニの前にベンチが定位置となりました。
その後リーベルに復帰しますが、ノーゴールに終わっています。

2001年Wユースに7試合出場し、大会歴代最多の11ゴールを挙げて得点王とMVPを獲得。地元の期待に応える活躍を見せてチームを優勝に導きました。3年後のアテネ五輪では得点王になったテベスとのコンビで3試合プレーし、チュニジア戦でゴールを挙げました。
フル代表デビューは2年後のW杯予選となった2000年8月15日パラグアイ戦。2004年コパ・アメリカではエクアドル戦でハットトリックを達成するなど4試合に出場、2005年コンフェデ杯では3試合出場し、チュニジアとの初戦でゴールを挙げました。
メッシやテベスなどの存在により、2006年W杯予選ではスタメンこそ少ないものの10試合プレー。本大会でも初戦のコートジボワール戦で追加点を挙げて、勝利に貢献しました。
代表記録

※:スペイン国籍もあり
2006年2月3日:新規アップ 2016年6月17日更新