デヤン・サヴィチェヴィッチ(Dejan SAVICEVIC)
フルネーム デヤン・サヴィチェビッチ
国籍 モンテネグロ
出身地 ポトゴリツァ
生年月日 1966・9・15
身長 181cm
体重 77kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1986・10・29
トルコ戦
代表背番号 8 19
W杯メンバー 90年 98年
ニックネーム ジェニオ=天才
個人タイトル  
チームタイトル 89/90,90/91,91/92ユーゴスラヴィアリーグ
89/90ユーゴスラヴィアカップ
90/91,93/94UEFAチャンピオンズ・カップ
91FIFAインターコンティネンタル・カップ
92/93,93/94,95/96セリエA
所属クラブおよび背番号 出場 得点
82/83 ブドゥチノスト
83/84 ブドゥチノスト
84/85 ブドゥチノスト 29
85/86 ブドゥチノスト 32 10
86/87 ブドゥチノスト 31
87/88 ブドゥチノスト 29 10
88/89 レッドスター
89/90 レッドスター 25 10
90/91 レッドスター 25
91/92 レッドスター 22
92/93 ミラン(イタリア) 10
93/94 ミラン(イタリア) 20
94/95 ミラン(イタリア) 19
95/96 ミラン(イタリア) 10 23
96/97 ミラン(イタリア) 10 17
97/98 ミラン(イタリア) 10
98/99 レッドスター
99/00 ラピッド・ウィーン(オーストリア) 10 22 11
00/01 ラピッド・ウィーン(オーストリア) 10 22
変幻自在のドリブル、正確で強烈なシュート、突破力のあるドリブルにパスセンスも備え、ミランの会長ベルルスコーニから「ジェニオ=天才」の愛称を授かったレフティ。好不調の波が激しいのがたまにキズですが、好調時は手がつけられなくなります。

2006年の冬に鈴木隆行が移籍して日本で広く知られるようになったレッドスターですが、国内では本拠地が同じベオグラードにあるパルチザンと激しい覇権争いを繰り広げる名門です。
そのおよそ20数年前に在籍していたサヴィチェヴィッチですが、国内リーグ3連覇にチャンピオンズ杯を制覇し、1991年のバロンドール投票で2位になりました。
そしてミランへステップアップを図ります。移籍した当初はなかなかなじめませんでしたが、徐々にチームにフィットしてセリエAを3回制覇します。93/94シーズンのチャンピオンズ杯決勝バルセロナ戦では、R・クーマンやナダルが立ちはだかるDFラインをドリブルで切り裂き、自らのループシュートなど全得点に絡むパフォーマンスを見せて4−0と圧勝して栄冠を手にしました。翌シーズンも決勝まで進みましたが、負傷で出場できませんでした。
95/96シーズンはウェアやR・バッジョとの3トップで優勝を果たしますが、カペッロ監督がR・マドリーへ去ると後任のザッケローニ監督の構想外となりました。
その後古巣レッドスターを経て、オーストリアのR・ウイーンで現役を終えています。

代表デビューは1986年10月29日でした。1990年W杯予選で2試合戦い、本大会ではオシム監督に3試合起用されベスト8に進出しました。2年後の欧州選手権予選は主力として出場権を獲得しますが、母国が内戦で政治的制裁を受けたため、それをはく奪されました。
それでも1998年W杯予選では11試合戦い、ハンガリーとのプレーオフ含む6ゴールで2大会ぶりの出場権を獲得。本大会にも2試合出場して終了後に引退しています。
代表記録 55試合22得点

2006年2月9日:新規アップ 2015年6月18日更新