佐藤 寿人(Hisato SATO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 佐藤 寿人(サトウ ヒサト) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ![]() |
|||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1982・3・12 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 170cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 67kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(ST) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2006・2・11 アメリカ戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 11 37 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ヒサト | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 05,12Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
07,12,13Jリーグフェアプレー個人賞 | |||||||||||||||||||||||||||||
12日本年間最優秀選手 | |||||||||||||||||||||||||||||
12Jリーグ最優秀選手 | |||||||||||||||||||||||||||||
12Jリーグ得点王 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 12,13,15Jリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
15セカンドステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
00 ジェフ市原 25 | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01 ジェフ市原 14 | 14 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
02 セレッソ大阪(J2) 24 | 13 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
03 ベガルタ仙台 11 | 30 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
04 ベガルタ仙台(J2) 11 | 44 | 20 | |||||||||||||||||||||||||||
05 サンフレッチェ広島 11 | 32 | 18 | |||||||||||||||||||||||||||
06 サンフレッチェ広島 11 | 33 | 18 | |||||||||||||||||||||||||||
07 サンフレッチェ広島 11 | 34 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
08 サンフレッチェ広島(J2) 11 | 40 | 28 | |||||||||||||||||||||||||||
09 サンフレッチェ広島 11 | 34 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
10 サンフレッチェ広島 11 | 27 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
11 サンフレッチェ広島 11 | 33 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
12 サンフレッチェ広島 11 | 34 | 22 | |||||||||||||||||||||||||||
13 サンフレッチェ広島 11 | 34 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
14 サンフレッチェ広島 11 | 29 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
15 サンフレッチェ広島 11 | 34 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
16 サンフレッチェ広島 11 | 19 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
17 名古屋グランパス(J2) 11 | 28 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
18 名古屋グランパス 11 | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19 ジェフ千葉(J2) | |||||||||||||||||||||||||||||
エリア内での的確なポジション取りやアグレッシブな仕掛け、ルーズボールに対する反応が傑出した左利きのストライカー。コーナーフラッグを使用したゴールパフォーマンスが特徴です。 埼玉県春日部市生まれ。小学1年より大増サンライズでサッカーを始めます。小学6年時、市原(現千葉)のジュニアユースに入るため千葉県八千代市に移り、テストに合格しました。 2003年に仙台に所属したときから注目を集めます。持ち前の感覚と熱いパフォーマンスでチームを牽引し、公式戦34試合で13ゴールを記録しました。残念ながらJ2への降格が決まりましたが、市原、広島など複数のJ1チームからのオファーを全て断り残留を決断しました。 2004年は44試合で20ゴールを記録してJ2のランキング4位となりましたが、チームはJ1には上がれませんでした。そしてシーズンオフに広島への完全移籍を決断したのです。 広島では5月以降ゴールを重ね、ハットトリックも2試合記録。Jリーグ得点ランキング3位、日本人の中では最多の18ゴールを挙げ、広島を一時は2位まで躍進させる原動力となりました。この活躍で2005年のJリーグベストイレブンに選出されました。 06シーズンの第9節ホームのC大阪戦では試合開始8秒でゴールを挙げ、J最速記録を作ります。そして川崎の我那覇とともに2年連続日本人最多ゴールを記録し、国内でも指折りのFWとしての地位を確立しますが、07シーズンにまさかの降格を経験しました。 入れ替え戦で敗戦した後にサポーターに向けて「昇格しよう!」と叫ぶなど即座にクラブへの残留を決めると、格の違いを見せてJ2得点王に輝くと共にチームをJ1復帰に導きます。 そして15ゴールを挙げてチームを4位躍進に導き、アジア・チャンピオンズ・リーグ出場権を手にしました。しかし翌シーズンは9月に右肩を痛めて不本意な結果に終わり、決勝に進んだナビスコ杯も自身の欠場もあってチーム敗戦の要因となりました。 12シーズンは開幕からゴールを量産し、柏や鳥栖、川崎の両試合と計5度の1試合2ゴールなど22ゴールを挙げてクラブ初優勝に貢献。自身は個人タイトルを総なめにして、キャリア最高のシーズンを過ごしました。翌シーズンも柏とのスーパー杯で決勝ゴールを挙げて好スタートを切り、リーグでは湘南や川崎F相手のハットトリックや鳥栖相手のロングボレーなど連覇の原動力となり、天皇杯でも甲府との準々決勝で先制点を決めてチームを決勝に導きました。 14シーズンは、川崎F戦での左足ボレーがプスカシュ賞にノミネートされます。ナビスコ杯でも5試合で4ゴールを挙げました。15シーズンは甲府との開幕戦、山形戦のハットトリックとJ2含めて12年連続2ケタを果たし、最終節湘南戦で中山が持つJ1最多157点に並びました。16シーズンの開幕戦記録を塗り替えますが、P・ウタカの加入で出番が減少、2ケタゴールが途絶えました。 これによりJ2に降格した名古屋へ移籍。主将を託されるなど卓越した求心力を見せ、松本戦など5ゴールを挙げました。昇格プレーオフ準決勝では兄勇人が所属する千葉に勝ち、決勝でも福岡とスコアレスドロー、シーズンの順位が上だったため1年でJ1復帰を果たしました。 18シーズンはジョーの加入もあってルーキーイヤー以来のノーゴールに終わり、勇人が所属する千葉に18年ぶりに復帰しています。 2001年Wユースではオーストラリアとチェコの2試合に途中出場したものの、いずれもノーゴールに終わり、チームもグループリーグで姿を消しました。 2005年末に日本代表に初招集されると、翌年2月11日のアメリカ戦で代表デビューを果たし、アジア杯最終予選のインド戦で初ゴールを決めました。2006年W杯出場は、プレースタイルが似た玉田の存在があったためかないませんでした。 2010年W杯予選では3試合の出場にとどまり、岡崎や森本といった後進の台頭により再び登録メンバーから外れています。 代表記録 余談 ・千葉などで活躍しているMF佐藤勇人は双子の兄です。 ※:埼玉県春日部市 2006年3月30日:新規アップ 2018年12月19日更新 |