サントス(SANTOS)
フルネーム カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス
国籍 ブラジル  
出身地 ビアノポリス
生年月日 1960・12・9
身長 176cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー  
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム 鉄人
個人タイトル 93Jリーグベストイレブン
96ナビスコカップ最優秀選手
02Jリーグ功労選手賞
チームタイトル 89,90リオデジャネイロ州選手権
93ファーストステージ
96ナビスコカップ
99セカンドステージ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
81 ゴイアス    
82 ゴイアス    
83 ゴイアス    
84 ゴイアス    
85 ゴイアス    
86 ゴイアス    
87 ノヴォリゾンナーノ    
87 ボタフォゴ    
88 ボタフォゴ    
89 ボタフォゴ    
90 ボタフォゴ    
91 ボタフォゴ    
92 ボタフォゴ    
92 鹿島アントラーズ(日本)    
93 鹿島アントラーズ(日本) 32
94 鹿島アントラーズ(日本) 22
95 鹿島アントラーズ(日本) 25
95 清水エスパルス(日本) 18
96 清水エスパルス(日本) 27
97 清水エスパルス(日本) 5 31
98 清水エスパルス(日本) 5 30
99 清水エスパルス(日本) 5 27
00 清水エスパルス(日本) 5 27
01 ヴィッセル神戸(日本) 4 26
02    
03 ザスパ草津(日本関東リーグ) 8    
強靭なバネと持久力を併せ持つフィジカルを持つボランチですが、プレースタイルは力にものを言わせず、冷静な判断力や正確なパスセンスなどインテリジェンスにあふれています。
攻守に優れ献身的にボールを追い精神的支柱にもなる、チームの根幹を支える選手です。

ゴイアス州のビアノポリスという街に生まれ、4歳の時からサッカーを始めます。地元のアマチュアチームに入団後も素晴らしい才能を発揮しました。そして17歳の時にゴイアスの入団テストを受け、ここでも体力テストで他者を圧倒する成績を残してユースに入りました。
19歳でトップチームに昇格して6シーズン、ノヴォリゾンナーノで1シーズンプレーして経験を積み、ボタフォゴに入団します。そして21年ぶりのリーグ優勝を果たすと、翌シーズンに連覇を達成します。1992年の全国選手権では決勝でフラメンゴに屈し、準優勝に終わりました。
クラブを栄光に導いた後、一足先に住友金属(現鹿島)でプレーしていたジーコの誘いにより1992年に入団。翌年のJリーグ開幕を控えた前哨戦であるナビスコ杯では、10試合に出場。ハットトリックを挙げる活躍を見せて準決勝進出の原動力となりました。
1993年5月16日名古屋戦で、Jリーグデビュー。ジーコ、アルシンド、黒崎、長谷川祥の攻撃陣と本田泰をはじめとする守備陣とのバランスをとり、Jリーグ開幕最初の1stステージ優勝を果たしました。ジーコ不在時には腕章を巻き、彼と若手選手の橋渡し役にもなるなどピッチ外での貢献度も少なくありませんでした。シーズン終了後にはベストイレブンに選ばれました。
95シーズン途中に清水へ。三浦泰や大榎とコンビを組んで中盤に安定感をもたらし、澤登や伊東などの攻撃陣をバックアップして2年目にナビスコ杯を獲得しました。97シーズンに高卒で加入したアレックスにとっても心強い存在であり、後々の活躍と無関係ではないといえます。
タイトルを逃し目立っていませんが、97,98シーズンのナビスコ杯や00シーズンの天皇杯では大会を通して決定力も見せつけ、00シーズンのリーグでは、このポジションながらアレックスと並ぶチームトップタイの4ゴールを挙げました。
01シーズンは神戸へ。同時に加入したカズや岡野の存在でボランチの仕事に専念しました。
1年間無所属でしたが、03シーズンに関東リーグの草津でプレーしたあと現役を引退。フィールドプレーヤーながら43歳までプレーした事実は称賛されてしかるべきであり、Jリーグ史に残る外国人選手の一人であるといっても過言ではありません。
J1リーグ:265試合33得点
代表記録
2008年12月22日:新規アップ 2012年3月1日更新