フリオ・サリーナス(Jurio SALINAS)
フルネーム フリオ・サリーナス・フェルナンデス
国籍 スペイン  
出身地 ビルバオ
生年月日 1962・9・11
身長 188cm
体重 82kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1986・1・22
ソ連戦
代表背番号 19
W杯メンバー 86年 90年
94年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 82/83,83/84,90/91,91/92,92/93,
93/94リーガ・エスパニョーラ
88/89UEFAカップウィナーズ・カップ
89/90コパ・デル・レイ
91/92UEFAチャンピオンズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
82/83 アスレティック・ビルバオB(2部B) 25 16
82/83 アスレティック・ビルバオ
83/84 アスレティック・ビルバオB(2部B) 29 15
83/84 アスレティック・ビルバオ
84/85 アスレティック・ビルバオ 28
85/86 アスレティック・ビルバオ 27
86/87 アトレティコ・マドリー 38 15
87/88 アトレティコ・マドリー 37 16
88/89 バルセロナ 37 20
89/90 バルセロナ 34 15
90/91 バルセロナ 33 11
91/92 バルセロナ 17
92/93 バルセロナ 18
93/94 バルセロナ
94/95 デポルティボ 24 12
95/96 スポルティング・ヒホン 38 18
96/97 スポルティング・ヒホン 16
97 横浜マリノス(日本) 7 26 21
98 横浜マリノス(日本) 7 21 13
98/99 アラベス 9 22
99/00 アラベス 9 28
長身を利した懐の深いボールキープでのポスト役に加え、自らもシュートまでが速いCFの理想像。バスク人ならではの粘り強さ、闘争心も兼ね備えています。

地元ビルバオに入団して練習にいそしみます。1982年10月3日サラゴサ戦でリーガデビューすると、1983年3月26日セルタ戦で初ゴールをマーク。その後下部リーグの得点王となってチームを準優勝に導きます。また、トップチームでのリーグ2連覇、2冠も経験しました。
86/87シーズンにA・マドリーに移籍します。パスセンスに優れたフットレと2トップを組むことで潜在能力が開花し、2シーズンで31ゴールと活躍しました。
1988年にバルセロナと契約。就任したばかりのクライフ監督の下「ドリームチーム」の一員としてリーグ4連覇など数多くのタイトルを獲得して黄金時代を築きました。ストイチコフ、M・ラウドルップ、ベギリスタインらとのポジション争いは激しく、終盤はサブに回りました。
バルセロナを去った後はデポルティボで12ゴールを挙げてチームを2位に躍進させ、ヒホンでも2シーズンプレー。1シーズン目の18ゴールはスペイン人最多となりました。
ヒホンでプレーしていた時、同胞アスカルゴルタ監督に誘われて横浜M(現横浜FM)に入団し、1997年5月3日平塚(現湘南)戦でJリーグデビューを果たします。そしてJリーグ記録となる8試合連続ゴールや2度のハットトリックなど、実力の違いを見せつけました。
98/99シーズンからアラベスで2年間プレーし、チームを1部残留に導きました。引退後は解説者として活躍しています。
リーガ:417試合152得点 J1リーグ:47試合34得点

代表デビューしたのは1986年1月22日のソ連戦。この試合から3試合連続ゴールを挙げてエースとなります。同年W杯はブトラゲーニョと2トップを組み5試合1ゴールと活躍しました。
その後2大会連続でW杯に合計7試合出場し1ゴールずつ挙げるものの、ベスト8の壁は越えられませんでした。1996年欧州選手権を最後に代表から引退しています。
代表記録 56試合22得点
2007年8月3日:新規アップ 2012年9月16日更新