イニャキ・サエス(Inaki SAEZ)
フルネーム ホセ・イグナシオ・サエス・ルイス
国籍 スペイン  
出身地 ビルバオ
生年月日 1943・4・23
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1974〜78 1980〜81 1986〜86 1991〜92
アスレティック・ビルバオ
1978〜79 1982〜83 1987〜91
ビルバオ・アスレティック
1993〜94 1994〜95 ラス・パルマス
1996〜96 アルバセテ
1996〜01 U−18スペイン代表
1996〜02 2004〜08 U−21スペイン代表
1997〜01 2005〜05 U−20スペイン代表
2000〜00 U−23スペイン代表
2001〜02 U−19スペイン代表
2002〜04 スペイン代表
獲得タイトル 99FIFAワールドユース
00シドニーオリンピック銀メダル
02UEFAU−19欧州選手権
現役時代はDFとしてA・ビルバオで263試合7得点の成績を残し、国内カップを2回制しました。スペイン代表では3試合プレーしました。

閉鎖的といわれるバスク地方の出身ですが、全国から積極的に才能を発掘して代表の強化を図るなど育成に定評があります。一方で戦術的な強みはありません。

32歳で監督としてのキャリアを始めます。下部組織で5年間育成に携わり、80/81シーズンに2試合トップのチームを率いて9位になりました。86/87シーズンに再びトップを率いて2強に次ぐ3位になり、その後再び下部チームで4シーズン指導しました。90/91シーズン終盤に再びトップチームを率いますが、2ケタ順位から抜け出せませんでした。
ラス・パルマスでは2シーズン戦いますが、3部からの昇格は果たせませんでした。1部アルバセテでも最下位に終わり、プレーオフで敗れて2部降格となりました。
1996年から各年代の代表を指導、2年後のU−21欧州選手権ではバレロン、サルバ、アングーロらを擁し、ギリシャを破って母国を2度目の優勝に導きました。
1999年Wユースではガブリの2ゴールでブラジルに勝利、ザンビアとはスコアレスドローでしたが、ホンジュラスに3−0と快勝して1位でグループリーグを突破します。決勝トーナメントではアメリカやマリと打ち合い、ガーナとは計15人が蹴ったPK戦と劇的な内容で勝ち進みます。そして決勝では「黄金世代」の日本と対戦して4−0と圧勝して初優勝しました。
翌年はルケやアングーロを擁してU−21欧州選手権に臨み、グループリーグを2位で通過。もう一方のグループリーグ2位のホスト国スロヴァキアを下して3位になりました。
U−23ではシャビ、ガブリ、ホセ・マリ、アルベルダ、プジョールを中心にシドニー五輪を戦います。グループリーグではチリに敗れますが、イタリア戦では終了間際のガブリのゴールで勝利し、日本を破ってきたアメリカに3ゴールを挙げました。カメルーンとの決勝では2点をリードするもののエトーに同点にされ、PK戦でミスして銀メダルになりました。2002年のU−19欧州選手権ではイニエスタやレジェス、MVPと得点王になるF・トーレスの活躍で優勝しました。
2002年W杯終了後にフル代表に就任。欧州選手権予選はギリシャに敗れて2位になり、ノルウェーとのプレーオフを制します。本大会はロシアに勝ちますが、ギリシャに引き分けに持ち込まれます。その後ホスト国ポルトガル戦で敗れ、総得点の差でグループリーグ敗退となりました。イエロの引退で新キャプテンになったラウールはノーゴールに終わり、モリエンテスで固定したCFを勝利が必要なポルトガル戦で若手F・トーレスを起用して物議を醸しました。
その後再びU−21を率い、2008年に引退しました。

2016年7月26日:新規アップ

99U−21スペイン代表(Wユース優勝)
パブロ ガブリ
バルケーロ バレラ
シャビ オルバイス
マルチェナ コイラ
フスエ ベルムード
  アランスビア  

04スペイン代表(欧州選手権出場)
  モリエンテス  
  ラウール  
ビセンテ エチェベリア
バラハ アルベルダ
R・ブラーボ プジョール
マルチェナ I・エルゲラ
  カシージャス