アリーゴ・サッキ(Arrigo SACCHI)
フルネーム アリーゴ・サッキ
国籍 イタリア  
出身地 フジニャーノ
生年月日 1946・4・1
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1982〜83 1984〜85 リミニ
1983〜84 フィオレンティーナ・テクニカルディレクター
1985〜87 2001〜01 パルマ
1987〜91 1996〜97 ミラン
1991〜96 イタリア代表
1998〜99 アトレティコ・マドリー(スペイン)
獲得タイトル 87/88セリエA
88/89,89/90UEFAチャンピオンズ・カップ
89,90FIFAインターコンティネンタル・カップ
アドリア海に近いフォリオ市郊外フジニャーノにの靴屋に生まれます。少年時代はインテリスタで、選手時代はアマチュアでDFとしてプレーしました。

イタリアに長く伝わる「カテナッチョ」。失点を防ぐためにゴール前を固め、素早いカウンターを繰り出すこの戦術で実践されていたマンマークディフェンスを排除して「ゾーンプレス」を採用、これによりミラン復権に大きな役割を果たした希代の戦術家です。
概念自体はオーストリアのヴィリー・メイスルにより「渦巻き」として紹介され、オランダのリヌス・ミケルスによる「トータル・フットボール」という形でありましたが、特に守備面を具体化する方法論を編み出します。そのきっかけが、ナポリで輝くディエゴ・マラドーナでした。
キーワードはゾーンディフェンス、オフサイドトラップ、プレッシング。前線と最終ラインの間隔を30m程度に保ち、チーム全員の距離を近くして高い位置でプレスをかけます。その際は常に数的優位であることが前提で、2,3人で相手を囲ってボールを奪い攻撃に転じます。
フォーメーションは4−4−2。最終ラインをフラットに保ちながら高い位置まで押し上げますが、それによって生まれる裏のスペースはオフサイドトラップで解決します。
この革新的な戦術を実践するためには、高度な戦術眼、豊富な運動量、自己犠牲の精神が必要であり、これらに乏しいとされるファンタジスタ系の選手を嫌う傾向があります。また、戦術理解に多くの時間を要し、適応できない選手も存在したため、過去に指導した子飼いの選手を重用するケースも見られます(右SBロベルト・ムッシ、GKセバスティアーノ・ロッシ)。
現代サッカーに不可欠な戦術を確立させた功績は計り知れず、ファーガソンやモウリーニョ、ベニテスなど、欧州の一線で活躍する多くの監督に大きな影響を与えました。
また、選手経験がなくても名監督になることが可能であるという意味で「騎手になるのに、名馬だった経験は必要ない」という言葉を残しています。

家業では主に営業を担当、靴を売るために欧州中を回りました。1960年代後半、立ち寄ったオランダで「トータル・フットボール」、「ゾーン・ディフェンス」と遭遇して衝撃を受けました。そしてコヴェルチャーノ(イタリア代表トレーニングセンター)の監督コースを修了しました。
26歳の時に監督業で生計を立てることを決意し、地元の少年チームを指導しながらチェゼーナやフィオレンティーナのジュニアチームを務めました。
1982年よりCリミニから本格的なキャリアが始まります。1985年にCパルマに就任し、1年でBに昇格。2年目はクラブ最高の7位となり、国内カップでリードホルム監督率いるミランを2度破るアップセットを演じ、相手のベルルスコーニオーナーに招聘されました。
87/88シーズン、活躍していたアルゼンチン代表ボルギの獲得を進言するオーナーを説得し、ライカールトを獲得。ファン・バステンはケガでフル稼働はなりませんでしたが、首位ナポリ戦で結果を残し、17勝11分2敗失点14で9年ぶりのスクデットを獲得しました。
2年目はリーグこそ3位でしたが、チャンピオンズ杯では2回戦でレッドスターと対戦、1stレグでストイコヴィッチに先制されるもヴィルディスで同点にします。9万のアウェーサポーターの前で戦った2ndレグもサヴィチェヴィッチに先制されました。その後ヴィルディスが退場しますが、濃霧のため中止となります。翌日に行われた再試合はファン・バステンが先制しますが、ストイコヴィッチに同点にされました。その後PK戦にもつれ、4−2で勝ち上がりました。
ブレーメンを下し、準決勝でR・マドリーと対戦。アウェーでの1stレグはH・サンチェスに先制されるもファン・バステンが同点にしました。2ndレグはアンチェロッティ、ライカールト、フリット、ファン・バステン、ドナドーニとゴールラッシュを見せました。決勝を含めた9試合で20得点5失点と素晴らしい展開を披露、8試合でラカトシュやハジなど計22得点を挙げた強力なS・ブカレストを完封し、クラブに68/69シーズン以来のビッグイヤーをもたらしました。
3年目もフリットやアンチェロッティと主力をケガで欠きながらも粘り強く戦い、2回戦でR・マドリー、3回戦でKVメヘレンを下しました。バイエルンとの準決勝は1stレグでファン・バステンの1ゴールを守りきり、2ndレグは敗れるもアウェーゴールを取って勝ち上がります。そしてベストメンバーがそろった決勝でベンフィカをライカールトのゴールで下して連覇を達成。インターコンティネンタル杯もコロンビアのA・ナシオナル、パラグアイのオリンピアを下して連覇、「オランダ・トリオ」、バレージ、マルディーニ、コスタクルタを中心に黄金期を築きました。
国際舞台で結果を出していたミランでしたが、リーグ優勝は1度に終わりました。当時はW杯を制するよりセリエAで優勝する方が難しいといわれ、他チームからの厳しいマーク、過酷なスケジュール、トレーニングによる選手の疲弊など多くの要因が重なりました。
高い能力を備えた選手を擁しながらもポリシーを徹底、選手にはチームワークと献身を求めますが、前線でのプレスを要求する自身と、自由な動きを求めるファン・バステンと確執が起こりました。そしてその修復がつかなくなったことを象徴する出来事が起こります。
90/91シーズンのチャンピオンズ杯準々決勝マルセイユ戦、2ndレグ終了2分前に1点ビハインドでスタジアムの照明が故障、復旧するも自軍の選手が試合放棄しました。これによりチームは1年間欧州カップ戦の出場停止処分を受け、自身も辞任しました。
1991年、欧州選手権出場を逃したヴィチーニ監督の後任としてイタリア代表に就任。ミラン時代の組織力を軸にチームを構成しますが、時間的な制約により戦術の浸透に苦心しました。1994年W杯予選ではスイスに1分1敗と苦戦するものの突破を果たしました。
迎えた本大会は初戦でアイルランドに敗れます。ノルウェー戦でバレージが負傷し、GKのパリュウカが退場する苦しい展開となります。そして代わりのGKを入れるため、エースのR・バッジョをベンチに下げます。この采配は多くの議論を呼びましたが、高温多湿というコンディションに加え、運動量と守備意識に乏しい彼をベンチに下げることが最良であると判断したのです。
苦戦するアズーリでしたが、グループリーグを通過、決勝トーナメントのナイジェリア、スペイン、ブルガリア戦は、いずれもR・バッジョが活躍しました。ブラジルとの決勝ではバレージが奇跡的に復活しますが、試合は双方とも疲労がピークに達して0−0に終わり、PK戦は5人目R・バッジョのボールがゴールマウスの上に飛び、2大会連続でPK負けを喫しました。
1996年欧州選手権は、確執があるR・バッジョやセリエA得点王シニョーリを招集せず非難を浴びました。迎えた本大会は初戦でカジラギの2ゴールで勝利して好スタートを切りますが、2戦目でカジラギとゾラの2トップを含む5人をスタメンから外し、準優勝するチェコに敗れました。勝利がグループリーグ突破の絶対条件で迎えたドイツとの試合ではゾラがPKを失敗、スコアレスドローに終わりました。チェコと勝ち点で並びましたが、当該国同士の対戦成績によりグループリーグで敗退し、1996年12月1日に解任されました。
96/97シーズン途中、タバレス監督の解任に伴いミランに復帰。R・バッジョとの確執は続き、攻撃陣の得点力不足は顕著で守備陣も振るわず、11位に終わりました。
その後A・マドリーに就任し、DFチャモ、トリージ、セレーナ、MFユーゴヴィッチとセリエAから大量補強を敢行します。ジュニーニョやバレロン、キコと攻撃のタレントもそろっていましたが、チームに戦術をフィットさせられず、冬に退任しました。
その後は解説者や、パルマやR・マドリーでディレクターを務めています。

2019年1月8日:新規アップ 2019年1月16日更新

87/88ミラン(国内リーグ優勝)
ヴィルディス フリット
エヴァーニ ドナドーニ
アンチェロッティ コロンボ
マルディーニ タソッティ
バレージ F・ガッリ
  G・ガッリ  

88/89,89/90ミラン(CC優勝)
ファン・バステン フリット
エヴァーニ ドナドーニ
アンチェロッティ ライカールト
マルディーニ タソッティ
バレージ コスタクルタ
  G・ガッリ  

94イタリア代表(W杯準優勝)
R・バッジョ マッサーロ
ベルティ ドナドーニ
D・バッジョ アルベルティーニ
ベナリーヴォ ムッシ
マルディーニ バレージ
  パリュウカ  

96イタリア代表(欧州選手権出場)
ゾラ カジラギ
フゼール ドナドーニ
ディ・マッテオ アルベルティーニ
カルボーニ マルディーニ
ムッシ コスタクルタ
  ペルッツィ  

96/97ミラン
シモーネ ウェア
ボバン エラーニオ
デサイー アルベルティーニ
マルディーニ タソッティ
バレージ コスタクルタ
  S・ロッシ  

98/99A・マドリー
ホセ・マリ ラルディン
  ジュニーニョ  
バレロン ロベルト
  メナ  
セレーナ アギレラ
チャモ サンティ
  モリーナ