フルネーム ミヒャエル・ルンメニゲ
国籍 ドイツ  
出身地 リプシュタット
生年月日 1964・2・3
身長 174cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1983・10・26
トルコ戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 83/84,85/86,88/89DFBカップ
84/85〜86/87ブンデスリーガ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
82/83 バイエルン
83/84 バイエルン 33 11
84/85 バイエルン 24
85/86 バイエルン 31 10
86/87 バイエルン 31
87/88 バイエルン 32 10
88/89 ドルトムント 32
89/90 ドルトムント 29
90/91 ドルトムント 31
91/92 ドルトムント 36 10
92/93 ドルトムント 26
93/94 ドルトムント
93 浦和レッズ(日本)
94 浦和レッズ(日本) 27 11
95 浦和レッズ(日本)
パスの出し手にも受け手にもなってチームのポゼッションを支えます。また、エリア付近での位置取りやこぼれ球への反応も良く、得点力も秘めています。

偉大な兄カール=ハインツの後に続き、82/83シーズンにプロデビューします。2年目にレギュラーになって11得点を挙げ、26得点を挙げた兄とともにチームを支えました。
兄が去った翌シーズン以降はマテウス、D・ヘーネス、デンマーク代表レアビーらとの攻撃陣でリーグ3連覇を達成しました。86/87シーズンはチャンピオンズ杯決勝に進みますが、マジェールなどにゴールを献上し、ポルトの前に涙をのみました。
88/89シーズンにドルトムントへ移籍してメラーとともに攻撃的な役割を担います。そしてクラブに24年ぶりとなる国内カップをもたらしました。4年目には自己最多の36試合に出場、4度目の2ケタ得点をマークするとともにFWシャプイサをバックアップし、キャプテンマークを託してきたヒッツフェルト新監督の期待に応えました。5年目はユヴェントス相手のUEFA杯決勝1stレグで早々と先制点を挙げたまでは良かったものの、D・バッジョ、R・バッジョ、元僚友メラーに6失点し、両コンペティションとも2位に終わりました。
93シーズンに浦和に加入し、11月6日横浜M(現横浜FM)戦でJリーグデビューします。バインやブッフバルトの存在もあって2年目の2ndステージで輝き、ケガの福田や若い佐藤慶、岡野をしのいでチームトップの11得点をマークしました。しかしつま先の痛みが限界に達し、95シーズンをもって引退しました。その後は実業家として活躍しています。

U−18とU−21を経て、1983年10月26日のトルコ戦でフル代表デビュー。翌年の欧州選手権予選でしたが、定着はなりませんでした。
代表記録 2試合

※:ミヒャエル・ルンメニゲ(Michael RUMMENIGGE)
2017年2月14日:新規アップ