ウェイン・ルーニー(Wayne ROONEY)
フルネーム ウェイン・マーク・ルーニー
国籍 イングランド
出身地 リヴァプール
生年月日 1985・10・24
身長 180cm
体重 70kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2003・2・12
オーストラリア戦
代表背番号 9 10
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム  
個人タイトル 03欧州年間最優秀若手選手
04UEFA欧州選手権ベストイレブン
04FIFPro世界年間最優秀若手選手
04/05,05/06イングランド年間最優秀若手選手(PFA)
05/06,09/10,10/11プレミアリーグベストイレブン(PFA)
08,09,14イングランド年間最優秀選手(FA)
08FIFAクラブワールドカップ最優秀選手
10イングランド年間最優秀選手(PFA)
10イングランド年間最優秀選手(FWA)
10イングランド年間最優秀選手(リーグ選定)
11FIFA/FIFProベストイレブン
チームタイトル 05/06,08/09,09/10,16/17イングランドリーグ・カップ
06/07〜08/09,10/11,12/13プレミアリーグ
07/08UEFAチャンピオンズ・リーグ
08FIFAクラブワールドカップ
15/16FAカップ
16/17UEFAヨーロッパリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 エヴァートン 18 33
03/04 エヴァートン 18 34
04/05 マンチェスター・ユナイテッド 8 29 11
05/06 マンチェスター・ユナイテッド 8 36 16
06/07 マンチェスター・ユナイテッド 8 35 14
07/08 マンチェスター・ユナイテッド 10 27 12
08/09 マンチェスター・ユナイテッド 10 30 12
09/10 マンチェスター・ユナイテッド 10 32 26
10/11 マンチェスター・ユナイテッド 10 28 11
11/12 マンチェスター・ユナイテッド 10 34 27
12/13 マンチェスター・ユナイテッド 10 27 12
13/14 マンチェスター・ユナイテッド 10 29 17
14/15 マンチェスター・ユナイテッド 10 33 12
15/16 マンチェスター・ユナイテッド 10 28
16/17 マンチェスター・ユナイテッド 10 25
17/18 エヴァートン 10 31 10
18 DCユナイテッド(アメリカ) 23 11
19/20 ダービー(2部)    
速くて果敢なドリブル突破から豪快なフィニッシュを決めるだけでなく、広い視野とキープから有効なパスを送るアシスト能力も長所のイングランド屈指のストライカー。
チームメートやレフェリーともめるなど気性が荒いものの、スペースを作ったり守備に奔走したりするなどのチームプレーを怠らない献身的な面もあります。

熱狂的なエヴァートンサポーターの家族で育ち、10歳で同クラブの下部に入団します。14歳にしてU−19チームで活躍し、01/02シーズンには21試合17得点を記録、更にFAユース杯ではオーウェンの持つ最多記録の9得点に迫る8得点でチームの準優勝に貢献します。4月に16歳でトップチームに昇格し、22日のサウサンプトン戦でベンチ入りします。
翌02/03シーズン開幕トッテナム戦でプレミアデビュー。17歳の誕生日を5日後に控えた2002年10月19日アーセナル戦では後半36分から途中出場、1−1で迎えた終了間際にミドルを決め、オーウェンが1997年5月に記録した17歳145日のプレミア最年少得点記録を更新し、チームを勝利に導いてアーセナルのプレミアリーグ不敗記録を30でストップさせました。また、リーグ杯でもクラブ史上最年少記録を樹立する得点を挙げました。
04/05シーズン、約50億円の移籍金でマンチェスター・Uと6年契約します。同クラブでのデビュー戦となるチャンピオンズ・リーグのフェネルバフチェ戦では大会最年少でハットトリックを記録。国内リーグでは29試合11得点の活躍で最優秀若手選手に選ばれました。
翌シーズン、チャンピオンズ・リーグではビジャレアル戦でレフェリーに暴言を吐いて退場し、大会を通じて無得点に終わるなど精彩を欠きます。しかし国内リーグで16得点を挙げ、リーグ杯決勝ウィガン戦でも2得点を決めて自身初のタイトルを獲得しました。
2006年W杯以降、同年代のC・ロナウドやテベスらと共に世界最高峰の攻撃陣を形成、06/07シーズンのチャンピオンズ・リーグでは決勝トーナメントでローマやミランに2得点ずつ挙げ、翌シーズンはリーグで得点数をも上回る13アシストを記録するなど獅子奮迅の働きを見せ、リーグ2連覇やクラブ9年ぶりのチャンピオンズ・リーグ制覇を果たしました。
08/09シーズンもチャンピオンズ・リーグ決勝に進出しますが、バルセロナに連覇を阻まれました。リーグ戦ではランパードやカイトと並ぶ12点で3連覇に貢献しました。
09/10シーズンはC・ロナウドに代わる得点源として、ハル戦での4得点やポーツマス戦でのハットトリックなど26得点を取り、チャンピオンズ・リーグでもミランから4点を奪い、リーグ杯決勝でもタイトルを手繰り寄せる点と、全コンペティションで42試合34得点を挙げました。
2010年10月に新たに5年契約をかわして臨んだ翌シーズンは、本拠マンチェスター・ダービーでバイシクルを決め、ウェストハム戦でハットトリックを達成しました。数字こそ減りましたがアシストも同数の数字を残し、2トップを組むエルナンデスをバックアップしました。チャンピオンズ・リーグでもチェルシーとの準々決勝からシャルケとの準決勝、バルセロナとの決勝でネットを揺らしましたが、またもスペイン王者の軍門に下りました。
11/12シーズンは若返ったチームのリーダーとなり、開幕から3連続でネットを揺らします。アーセナル戦とボルトン戦でハットトリックし、本拠チェルシー戦でも得点して3−1と完勝(後にPKミスあり)、他に1試合2得点を6度も達成するなど自己最多の27得点を記録しました。
チャンピオンズ・リーグでも4試合2得点、ヨーロッパリーグでもビルバオから1試合2得点を見せます。これだけ得点を量産しながら層の薄い中盤での起用にも応えるなど、その貢献度はメッシやC・ロナウドにも劣らないものとなりました。
翌シーズンは序盤に右足を裂傷しますが、復帰後はマンチェスター・ダービーで2得点を挙げた他、新加入のファン・ペルシや香川に決定機を演出。前者には効果的なオフ・ザ・ボールなどで2年連続得点王に導くと、後者には本拠ノーリッジ戦で2アシストしてハットトリックを決めさせ、自身も得点を取るなど良好な関係を築き、2年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
ファーガソン監督が勇退し、モイーズ監督が就任。エヴァートン時代からの確執が続き、チェルシーへの移籍が取りざたされますが残留します。スウォンジーとの開幕戦は後半から出場して2アシストし、大敗したマンチェスター・ダービーでも意地の一撃を見せます。その後もアーセナル相手にファン・ペルシをアシストし、トッテナム戦でも劣勢の中2得点で引き分けに持ち込みました。17得点10アシストと個人的には良かったものの、チームは7位と振るいませんでした。チャンピオンズ・リーグではレヴァークーゼン戦の計2得点3アシストなどでベスト8になりました。
ファン・ハール監督にも様々な位置で起用されますが、アーセナル戦での勝ち越し点、リヴァプール戦での先制点、ニューカッスル戦での2得点1アシスト、マンチェスター・ダービーでのアシストなど随所に攻撃センスを見せてチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。
15/16シーズンは入団12年目で2ケタを割り込みました。翌シーズンも開幕戦こそ得点を挙げるものの、イブラの加入もあってフル稼働はなりませんでした。
17/18シーズン、R・ルカクと入れ替わりでエヴァートンに復帰。ウェストハム戦のハットトリックやリヴァプール戦からの3連発など3年ぶりの2ケタ得点を挙げました。
その後2018年7月14日バンクーバー戦でMLSデビュー。4度の1試合2得点など12試合7アシスト、2年目はソルトレイク戦のハットトリックなど11得点7アシストしました。
19/20シーズンに母国2部ダービーへ移籍しています。

2003年2月12日オーストラリア戦で代表デビュー。1879年にジェームス・プリンセスが樹立した17歳252日を124年ぶりに更新する、17歳111日でのイングランド代表史上最年少出場記録となります(2006年5月、ウォルコットが17歳75日に更新)。同年9月6日の2004年欧州選手権予選マケドニア戦では、オーウェンが保持していた18歳147日の最年少得点記録を更新する同点弾を記録、17才317日の最年少得点記録を打ち立てます。
本大会では最年少ながらオーウェンのパートナーとして、グループリーグのスイスとクロアチア相手に2得点ずつ決める大きなインパクトを残したものの、準々決勝ポルトガル戦前半27分に骨折し大会を後にしました。ちなみにスイス戦での1点目は当時の大会最年少得点記録でしたが、4日後にスイスのフォンランテンがフランス戦で更新しています。
2006年W杯予選では7試合無得点に終わり、本戦もチェルシー戦のケガから回復して間がなかったものの4試合に出場。しかし準々決勝ポルトガル戦で相手DFカルヴァーリョの股間を踏んだとしてレッドカードをもらい、悔いの残る形で初めてのW杯を終えます。この際自身を退場に追い込んだとしてクラブの同僚C・ロナウドとの関係に亀裂が入ったとされました。
2008年欧州選手権予選では2得点に終わり、チームも敗退となります。そしてカペッロ新監督の下でリスタートを切ります。代表復帰した最前線のヘスキーが身体を張ったこともあり、2010年W杯予選では9試合9得点と役割を果たして2度目の出場権を獲得。しかし本大会では無得点に終わり、決勝トーナメント初戦敗退の一因となりました。
2012年欧州選手権予選では7試合3得点を挙げますが、最終戦でレッドカードを受けました。グループリーグ2試合に出場できなかった本大会では、ホスト国ウクライナ戦で決勝点を挙げましたが、イタリアとの準々決勝で持ち味を発揮できず敗れました。
2014年W杯予選は6試合戦い、チーム最多となる5試合連続含む7得点を挙げます。本大会ではイタリアに先制された直後にスターリッジをおぜん立てし、ウルグアイ戦で大会初得点を挙げて同点に追い付きましたが、スアレスに勝ち越し点を献上しました。
2016年欧州選手権予選は8試合戦い7試合連続で得点を挙げます。本大会はケインやヴァーディーの前に位置を下げ、4試合でアイスランド戦の1点に終わりました。
代表記録

余談
・右の前腕に、お気に入りのバンドであるステレオフォニックスのアルバム名「ジャスト・イナフ・エデュケーション・トゥ・パフォーム」のタトゥーを入れています。
2010年5月30日:新規アップ 2019年8月31日更新