ウーゴ・ロダジェガ(Hugo RODALLEGA)
フルネーム ウーゴ・ロダジェガ・マルティネス
国籍 コロンビア  
出身地 エル・カルメロ
生年月日 1985・7・25
身長 181cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2005・3・9
アメリカ戦
代表背番号 11
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 05コロンビアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04 デポルテス・キンディオ
05 デポルテス・キンディオ 12
05 デポルティボ・カリ 26 12
05/06 モンテレー(メキシコ) 14
06/07 アトラス(メキシコ) 17
06/07 モンテレー(メキシコ) 15
07/08 ネカサ(メキシコ) 36 16
08/09 ネカサ(メキシコ) 17
08/09 ウィガン(イングランド) 20 15
09/10 ウィガン(イングランド) 20 38 10
10/11 ウィガン(イングランド) 20 36
11/12 ウィガン(イングランド) 20 23
12/13 フルハム(イングランド) 20 29
13/14 フルハム(イングランド) 20 13
14/15 フルハム(イングランド2部) 20 33 10
15/16 アキサル・ベレディイェ(トルコ) 23 34 19
16/17 アキサル・ベレディイェ(トルコ) 23 17
16/17 トラブゾンスポル(トルコ) 28 15
17/18 トラブゾンスポル(トルコ) 28 23
18/19 トラブゾンスポル(トルコ) 7 33 15
19/20 デニズリスポル(トルコ2部)    
高度なテクニックを擁して独特のステップを刻むドリブルで敵陣に侵入します。また、強烈なFKも武器とするコロンビア代表ストライカーです。

コロンビア西部エル・カルメロに生まれます。カリにあるボカの下部組織を経てD・キンディオで競技生活を始めます。2004年4月11日のD・カリ戦で初ゴールを挙げるなど、2年目は12試合7ゴールと好成績を残し、この強豪に引き抜かれます。
そして26試合12ゴールと役割を果たしてユース代表に招集され、国外移籍も実現させます。しかしモンテレー、レンタル先のアトラスとレギュラー奪取には至りませんでした。しかしネカサ移籍を機に事態は好転し、36試合16ゴールと自己最多の成績を残しました。
08/09シーズン途中にウィガンへ移籍し、ブルース監督により1月28日本拠リヴァプール戦でプレミアにデビュー。マンチェスター・U戦など3ゴールを挙げました。
2年目は開幕戦でゴールを挙げて好スタートを切ると、チェルシーやリヴァプールといった強豪からゴールを奪ってチームを勝利に導きました。トッテナムとのアウェー戦ではチームの守備が崩壊して9失点を喫しましたが、アシストで一矢報いました。
3年目はトッテナム戦で決勝点を挙げて大敗の雪辱を果たし、リヴァプール戦で同点ゴール、ウルヴズ戦で1ゴール1アシストするなど9ゴールを挙げました。4年目はベンチスタートが多くなり2ゴール4アシストの成績でしたが、プレミアに残留して契約を終えました。
フルハムではベルバトフやコスタリカ代表B・ルイス、クロアチア代表ペトリッチと層が厚かったものの、ウィガンへの恩返しすると、ニューカッスル戦で決勝弾を挙げました。
2年目にプレミアから陥落し、3年目もハダースフィールド戦の1ゴール2アシストからの3連発など10ゴール7アシストしますが、17位とふるいませんでした。
15/16シーズン、8月16日のコンヤスポル戦でトルコリーグにデビュー。リゼスポル戦からの4連発やベジクタシュ戦のハットトリックなどの最多の成績を更新しました。
2年目は途中でトラブゾンスポルへ移ってリーグ通算10ゴールを挙げました。カップ戦でもエルズルムスポル戦のハットトリックなど5試合8ゴールと爆発しました。
2年目はブラク・Yの復帰もありスーパーサブになりますが、ベジクタシュの同点ゴールなど5ゴールを挙げました。彼が退団した3年目は、2度の1試合2ゴールやコンヤスポル戦からの3連発などエースに返り咲きました。
19/20シーズンに2部デニズリスポルへ移籍しています。

2005年Wユースは3試合戦ってシリア戦でゴールを挙げますが、決勝トーナメント初戦で敗れました。フル代表デビューは同年の3月9日アメリカ戦となりました。
2007年コパ・アメリカは3試合出場。アメリカ戦ではGKのR・サパタが退場して交代枠も無くなっていたためゴールマウスに立って1−0で逃げ切りました。
2010年W杯予選では10試合で2ゴールを挙げますが、敗退しました。
代表記録

2019年3月9日:新規アップ 2019年7月12日更新