ファビオ・ロッケンバック(Fabio ROCHEMBACK) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ファビオ・ロッケンバック | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ブラジル | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ソレダーデ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1981・12・10 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 83kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2001・5・31 カメルーン戦 |
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代表背番号 | 18 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 03ポルトガルリーグ年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
00 インテルナシオナウ | 40 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
01 インテルナシオナウ | 16 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 バルセロナ(スペイン) 15 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 バルセロナ(スペイン) 15 | 21 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 スポルティング(ポルトガル) 26 | 21 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 スポルティング(ポルトガル) 26 | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ミドルスブラ(イングランド) 10 | 22 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ミドルスブラ(イングランド) 10 | 20 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ミドルスブラ(イングランド) 10 | 26 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 スポルティング(ポルトガル) 26 | 19 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 スポルティング(ポルトガル) 26 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 グレミオ | 13 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 グレミオ | 25 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
11 グレミオ 5 | 31 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
12 大連阿爾濱(中国) 8 | 27 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
13 大連阿爾濱(中国) 8 | 24 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
14 イピランガ(6部) | |||||||||||||||||||||||||||||
ハードマークと高度なテクニック、それを支える豊富なスタミナで中盤を制圧するセンターハーフ。攻守にそつがなくチームの中軸になる資質を持っています。 12歳の時にインテルナシオナルの下部組織へ入団。1997年のUー17世界大会で優勝し、2000年のブラジル選手権では、7月にトップデビューを果たします。 バルセロナから興味を示され、2001年8月26日開幕セビージャ戦でのリーガデビューを先発で果たします。しかしシャビやコクーがおり、チーム自体も不調で出場機会が限られました。 2003年にスポルティングへ移籍しました。ここでもタイトルこそ獲れませんでしたが、1年目は国内リーグで8ゴールを決めます。2年目はUEFA杯で13試合戦い、ニューカッスルやフェイエノールトからゴールを挙げて決勝進出の原動力となりました。 05/06シーズンよりミドルスブラへ。9月10日アーセナル戦でプレミアリーグにデビューしますが、大きな活躍には至らず背番号10に見合った結果を残せませんでした。唯一の見せ場となったのは3年目の最終節マンチェスター・C戦であり、1得点2アシストで8−1の勝利に貢献しました。なお、UEFA杯では1年目に6試合戦って準優勝になっています。 08/09シーズンにスポルティングへ復帰。チャンピオンズ・リーグこそ6試合に出場しましたが、国内では19試合とレギュラーになりきれず、8年間過ごしたヨーロッパを離れました。 グレミオで若いチームに豊富な経験をもたらし、3年目はG・シウヴァと共に熟練のプレーを披露。中国リーグでもカデル・ケイタやフランス代表オアロと共にチーム力を高めました。 14シーズンに母国へ戻りますが、1年で退団して引退しました。 2001年5月31日、コンフェデ杯カメルーン戦で代表デビューを果たします。5試合戦いますが、4位と結果は伴いませんでした。 代表記録 7試合 2006年5月11日:新規アップ 2017年7月13日更新 |