“サー”ボビー・ロブソン(“Sir”Bobby ROBSON)
フルネーム ロバート・ウィリアム・ロブソン
国籍 イングランド
出身地 サクリストン
生年月日 1933・2・18
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1968〜68 フルハム
1969〜82 イプスウィッチ
1982〜90 イングランド代表
1990〜92 1998〜99 PSV(オランダ)
1992〜94 スポルティング(ポルトガル)
1994〜96 ポルト(ポルトガル)
1996〜97 バルセロナ(スペイン)
1999〜04 ニューカッスル
獲得タイトル 77/78FAカップ
80/81UEFAカップ
90/91,91/92エールディヴィジ
93/94ポルトガルカップ
94/95,95/96ポルトガルリーグ
96/97コパ・デル・レイ
96/97UEFAカップウィナーズ・カップ
サクリストンに5人兄弟の4番目として生まれます。少年時代はニューカッスルのサポーターとして、セントジェームズパークに足しげく通っていました。
15歳のころには18歳のチームに所属するなど才能を発揮し、フルハムの目に留まってプロキャリアをスタートさせます。主に前線の選手として6年間活躍し、その後のWBAでの6年間を経てフルハムに復帰しました。晩年にはカナダのバンクーバーに渡りました。
イングランド代表としても1958年W杯に出場するなど、20試合4得点の成績を残しました。

国内外で多くの成果を残しているイングランドを代表する名将。フォーメーションは伝統の4−4−2フラットですが攻撃志向が強く、サイドだけでなく中央のMFも攻撃的な選手を配置します。
性格は温厚で人格者としても広く知られ、イングランド代表のガスコイン、PSVのロマーリオ、バルセロナのロナウドに代表される問題児をも巧みに手なずける人心掌握術も擁し、多くの選手に慕われるのはもちろん、メディアやサポーターとの関係も良好です。
2002年11月には、ナイトの称号である“サー”を授与されています。

現役最終年の1967年、バンクーバーで選手兼監督となります。その後母国へ帰還し古巣フルハムで監督生活を始めますが、チームが降格して引責辞任します。その後イプスウィッチに就任、これまでタイトルに縁のなかったクラブでしたが、77/78シーズンには決勝でアーセナルを下してFA杯を制すると、80/81シーズンにはUEFA杯準決勝でプラティニ擁するサンテティエンヌを、決勝でオランダのAZを下して優勝するという素晴らしい成果を出しました。
これにより1982年にイングランド代表監督に指名されます。1986年W杯ではGKシルトン、MFホドル、ブライアン・ロブソン、ワドル、FWリネカーとタレントがそろいますが、グループリーグ2戦を終えて勝ち点1と苦しい展開となり、3戦目に若手に切り替えます。これが奏功し、リネカーのハットトリッでポーランドを下し、決勝トーナメントに進出します。しかしマラドーナの神業に屈してベスト8で敗退しました。1988年欧州選手権ではW杯時のチームとほぼ変わらない顔ぶれでしたが、リネカーやベアズリー、バーンズといった攻撃陣が不発に終わり、全敗でグループリーグ敗退となりました。
1990年W杯では3−4−3の布陣で臨みます。大会が全体的に守備的であり、自チームも2得点しか挙げられないながらもグループリーグ突破を決めます。決勝トーナメントに入りベルギーに1−0、続くカメルーンには3−2の撃ち合いを制しました。準決勝西ドイツ戦ではガスコインが退場するなど苦しい展開となり、PK戦にもつれた末敗北、3位決定戦イタリア戦でも敗れ4位に終わりました。通算では95試合戦い47勝と好成績を残しました。
その後オランダへ渡りPSVに就任し、いきなりリーグ2連覇を果たします。しかしチャンピオンズ杯ではグループリーグに進めなかったため解任されました。
その後ポルトガルに渡ります。スポルティングでは初年度こそリーグ3位となったものの、翌シーズンのUEFA杯は3回戦で敗退し解任されました。しかしすぐに宿敵ポルトからのオファーを承諾すると、このシーズンの国内カップを獲得、翌シーズン以降リーグ2連覇を果たしました。
また、スポルティング時代から自身の通訳を務めたジョゼ・モウリーニョに多大な影響を与え、この関係はバルセロナの監督をしていた時まで続きます。彼はその後ポルトでUEFA杯とチャンピオンズ・リーグを制し、チェルシーでプレミアリーグ2連覇と大きな成果を残して世界屈指の監督の一人となりますが、自身のアドバイスには忠実に耳を傾けていたようです。
96/97シーズンにバルセロナに就任。デ・ラ・ペーニャのスルーパスにロナウドが得点を量産、国内リーグ得点王になった彼に対し「戦術はロナウド」という最大限のほめ言葉を与え、のちにサッカー史に残る名言ともなりました。しかし彼とジェオヴァンニがリオのカーニバルで帰国するなどチーム内を掌握し切れず、宿敵R・マドリーに覇権を握られました。それでも国内カップとカップウィナーズ杯の2冠を達成して面目を保ちました。
98/99シーズンにPSVに復帰、ファン・ニステルローイとベルギー代表ニリスの2トップが52得点をたたきだしましたが、守備が崩壊して3位に終わりました。
そして、子供のころの憧れだったニューカッスルに就任します。エースのシアラーをはじめ、GKギヴン、MFスピード、ロベール、ソラーノ、FWベラミなど好選手を擁し、01/02シーズンにはチームをリーグ4位に導きチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得すします。翌シーズンの同大会ではD・キエフとフェイエノールトを交わして1次リーグを突破、2次リーグでバルセロナとインテルに道を閉ざされましたが、前回のファイナリストであるレヴァークーゼンに連勝するなど健闘しました。過酷なスケジュールでしたが、プレミアリーグでも3位と好成績を挙げました。
翌シーズンのチャンピオンズ・リーグでは予備予選3回戦でパルチザンに敗れ、グループリーグ進出はならず、リーグもUEFA杯出場権を手にするのが精いっぱいとなりました。
1991年からガンを患っており、03/04シーズンをもって監督業から引退。2006年からアイルランド代表の顧問として、ストーントン監督へアドバイスを行いました。
2009年7月31日に76歳で亡くなっています。
2009年8月2日:新規アップ 2012年7月10日更新

80/81イプスウィッチ(UEFA杯優勝)
 マリナー 
ブラジルゲーツ
ミューレンティーセン
 ウォーク 
ミルズバリー
ブッチャーオズマン
 クーパー 

86イングランド代表(W杯ベスト8)
ベアズリー リネカー
ホッジ スティーヴン
リード ホドル
サンソム M・スティヴンス
ブッチャー フェンウィック
  シルトン  

88イングランド代表(欧州選手権GL敗退)
リネカー ベアズリー
バーンズ スティーヴン
ホドル ロブソン
サンソム M・スティヴンス
アダムズ M・ライト
  シルトン  

90イングランド代表(W杯4位)
  リネカー  
ベアズリー ワドル
ピアース パーカー
プラット ガスコイン
ブッチャー ウォーカー
  M・ライト  
  シルトン  

95/96ポルト(国内リーグ2連覇)
  ドミンゴス  
ドゥルロヴィッチ エヂミウソン
リプシェイ エメルソン
P・サントス
ルイ・ジョルジュ セクレタリオ
J・コスタ アロイージオ
V・バイーア

96/97バルセロナ(カップ2冠)
ロナウド ジオヴァンニ
  デラペーニャ  
フィーゴ L・エンリケ
  グアルディオラ  
セルジ フェレール
ポペスク ブラン
  V・バイーア  

98/99PSV(国内リーグ3位)
  ニリス  
Vニステルロイ ブルッフィンク
ホフロフ ロンメダール
  VDドゥーレン  
オーイェン VDウェルデン
ニキフォロフ ディルクス
  ヴァッタラウス  

02/03ニューカッスル(国内リーグ3位)
ベラミ シアラー
ロベール ブライアン・カー
ジェナス ダイアー
ベルナール A・オブライエン
ウッドゲイト ブランブル
  ギヴン