ロビーニョ(ROBINHO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ロブソン・デ・ソウザ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ブラジル※ | ![]() |
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出身地 | サン・ヴィセンテ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1984・1・25 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 172cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 60kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(ST) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2003・7・13 メキシコ戦 |
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代表背番号 | 7 11 20 23 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 10年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ドリブルキング | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 02,04ボーラ・ジ・プラタ(プラカール誌) | ||||||||||||||||||||||||||||
04ボーラ・ジ・オーロ(プラカール誌) | |||||||||||||||||||||||||||||
07CONMEBOLコパ・アメリカ最優秀選手 | |||||||||||||||||||||||||||||
07CONMEBOLコパ・アメリカ得点王(6得点) | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 02,04ブラジル全国選手権 | ||||||||||||||||||||||||||||
05,09FIFAコンフェデレーションズ・カップ | |||||||||||||||||||||||||||||
06/07,07/08リーガ・エスパニョーラ | |||||||||||||||||||||||||||||
07CONMEBOLコパ・アメリカ | |||||||||||||||||||||||||||||
10ブラジルカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
10/11セリエA | |||||||||||||||||||||||||||||
15中国リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
02 サントス 7 | 24 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
03 サントス 7 | 32 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
04 サントス 7 | 37 | 21 | |||||||||||||||||||||||||||
05 サントス 7 | 11 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 レアル・マドリー(スペイン) 10 | 37 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 レアル・マドリー(スペイン) 10 | 32 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 レアル・マドリー(スペイン) 10 | 32 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 | 31 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 サントス 7 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 ミラン(イタリア) 70 | 34 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 ミラン(イタリア) 70 | 28 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 ミラン(イタリア) 7 | 23 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 ミラン(イタリア) 7 | 23 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
14 サントス 7 | 16 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
15 サントス 7 | 4 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
15 広州恒大(中国) 60 | 9 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
16 アトレティコ・ミネイロ 7 | 30 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
17 アトレティコ・ミネイロ 7 | 30 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 シワススポル(トルコ) 70 | 14 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 シワススポル(トルコ) 70 | 16 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 バシャクシェヒル(トルコ) 70 | 17 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
19/20 バシャクシェヒル(トルコ) 70 | |||||||||||||||||||||||||||||
「ドリブルキング」の異名を持ち、鋭い切り返しや、ポルトガル語で「ペダラーダ」という高速のまたぎフェイントで、ボックス付近でPKを警戒する相手の脅威となります。 ペレの後継者とされ、ドリブルのスキルはガリンシャと比較されます。 地元のストリートにて裸足でボールを追いかけていましたが、父親がスパイクを購入したことがきっかけで6歳の頃にベイラ・マールに加入(後にR・マドリーで同僚となるDFマルセロも在籍していました)。8歳でポルトゥアリオスへ渡り、生活面の支援も受けました。 10歳でサントスに加入し、フットサルチームを経てU−13に入りサッカーに転向します。2001年にはU−20サンパウロ州選手権で得点王になるなど各年代のカテゴリーで結果を残し、翌年4月7日リオ・サンパウロ州大会サンパウロ戦にてトップデビューします。 レオン監督の下でジエゴと共にチャンスメーカーとなり、優勝を争うコリンチャンスとのプレーオフ2ndレグで先制点を決め、クラブを1968年以来のブラジル全国選手権制覇に導きました。2003年リベルタドーレスでは決勝でテベス擁するボカに敗れました。 翌年11月には母親が誘拐されますが(41日間監禁され、12月18日に解放されました)、心の傷が癒えた2月のコリンチャンス戦で2ゴールを挙げるなど、ルシェンブルゴ監督の下全国選手権で21ゴールを挙げて2度目の優勝を果たします。国内で最も権威のあるプラカール誌による年間最優秀選手に選出され、エル・パイース紙による南米年間最優秀選手投票でも3位になります。その後のリベルタドーレスでも9試合で6ゴール4アシストしました。 2005年8月、ルシェンブルゴ監督率いるR・マドリーと5年契約を結び8月28日カディス戦にてリーガデビューします。初めて臨むチャンピオンズ・リーグも8試合に出場しました。06/07シーズンには10年ぶりに復帰したカペッロ監督の下でリーグ優勝を果たすと、チャンピオンズ・リーグでもアウェーのS・ブカレスト戦で欧州カップ初ゴールを記録しました。 翌シーズンはラウールやファン・ニステルローイとの2ケタゴールでリーグを連覇しますが、五輪出場をめぐりクラブと衝突、マンチェスター・Cへ移籍します。 そしてデビュー戦となったチェルシー戦でFK、本拠ストーク戦でハットトリックを決めるなど、リーグ4位タイの14ゴール5アシストと適応しました。2年目はケガで3ヶ月戦列を離れて古巣サントスにレンタルされ、州選手権で5ゴール、カップ戦で6ゴールを挙げました。 そして移籍期限最終日にミランへ入団し、2010年9月11日チェゼーナ戦でセリエAデビュー。イブラ、ロナウジーニョ、パト、途中加入のカッサーノとの攻撃陣を形成し、14ゴールを挙げてクラブ7年ぶりのスクデット獲得に貢献しました。しかしその後はチャンピオンズ・リーグでアーセナルやバルサ戦でのゴール以外は目立った活躍ができませんでした。 14シーズンに再びサントスに復帰。州選手権とリーグ戦で9ゴール決め、翌年も州選手権で5ゴール4アシスト、リーグ戦で2ゴール、カップ戦で5ゴールを挙げました。 15シーズンにスコラーリ監督率いる広州恒大へ移籍しますが、1年で退団しました。その後A・ミネイロに移籍し、州選手権で2度ハットトリックしました。2年目は全国選手権で2度の1試合2ゴールなど久々の2ケタゴール、カップ戦でも4ゴールを挙げました。 17/18シーズンにフリーでシワススポルへ移籍します。フル稼働こそならないものの、まずまずの成績を残して2年目の途中にバシャクシェヒルへ移っています。 2003年7月13日、ゴールド杯メキシコ戦で代表デビュー。2005年コンフェデ杯では5試合出場、日本戦とギリシャ戦でのゴールと3アシストで優勝しました。 2006年W杯予選では8試合で2ゴールと結果を出して本大会メンバーとなり、ロナウドとアドリアーノのバックアッパーとして4試合、その中で日本戦にはフル出場します。前評判の高かったチームでしたが、ベスト8に終わりました。 ドゥンガ監督就任後に臨んだ2007年コパ・アメリカでは、グループリーグのチリ戦でハットトリックを決めるなど6ゴールで得点王となり優勝に貢献すると、2009年コンフェデ杯でも5試合に出場して1ゴールを挙げて連覇を達成しました。 2010年W杯予選ではFW陣最多の15試合出場。本大会は4試合戦い決勝トーナメントで連発しますが、オランダの前に再び8強に終わりました。 2011年コパ・アメリカでは3試合で不発に終わりました。ドゥンガ監督により4年後の同大会にも召集され、パラグアイ戦で先制点を決めています。 代表記録 ※:スペイン国籍もあり 2008年9月12日:新規アップ 2019年10月12日更新 |