ホセ・マヌエル・レイナ(Jose Manuel REINA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ホセ・マヌエル・レイナ・パエス | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | スペイン | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | マドリード | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1982・8・31 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 187cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 79kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | GK | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2005・8・17 ウルグアイ戦 |
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代表背番号 | 23 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 10年 14年 18年 |
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ニックネーム | ペペ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 05/06〜07/08プレミアリーグ最優秀GK | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 99UEFAU−16欧州選手権 | ||||||||||||||||||||||||||||
05/06FAカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
08,12UEFA欧州選手権 | |||||||||||||||||||||||||||||
10FIFAワールドカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
11/12イングランドリーグ・カップ | |||||||||||||||||||||||||||||
13/14コッパ・イタリア | |||||||||||||||||||||||||||||
14/15ブンデスリーガ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 バルセロナB(3部) | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 バルセロナB(3部) | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 バルセロナ 35 | 19 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 バルセロナ 13 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ビジャレアル 25 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ビジャレアル 25 | 38 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ビジャレアル 25 | 37 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 リヴァプール(イングランド) 25 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 リヴァプール(イングランド) 25 | 35 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 リヴァプール(イングランド) 25 | 35 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 リヴァプール(イングランド) 25 | 38 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 リヴァプール(イングランド) 25 | 38 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 リヴァプール(イングランド) 25 | 38 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 リヴァプール(イングランド) 25 | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 リヴァプール(イングランド) 25 | 31 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 ナポリ(イタリア) 25 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 バイエルン(ドイツ) 23 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 ナポリ(イタリア) 25 | 37 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 ナポリ(イタリア) 25 | 37 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 ナポリ(イタリア) 25 | 37 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 ミラン(イタリア) 25 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 ミラン(イタリア) 25 | |||||||||||||||||||||||||||||
驚異的な反射神経と的確な判断で守備範囲が広く、PK戦にも強く、パントキックも正確で足元の技術も持つ総合力の高いGK。ムードメーカーとしても貴重な存在です。 1960年代にA・マドリーやバルセロナで活躍したGKミゲル・レイナの息子としてマドリードに生を受けます。8歳の頃に「ドリームチーム」の守護神であるスビサレッタのグローブをもらう幸運な出来事もあったため、自身もバルセロナのカンテラで育ちます。 00/01シーズンにトップへ昇格し、2000年12月2日セルタ戦でリーガデビュー。そしてGKで最多の19試合に出場、UEFA杯でも後に移籍するリヴァプールとの準決勝でプレーしますが、翌シーズンにアルゼンチン代表ボナーノが加入したため再びサブとなります。 出場機会を求め02/03シーズンにビジャレアルへレンタル移籍すると才能が開花します。翌シーズンはリーグ8位、UEFA杯ではホームゲームの6試合を完封して準決勝進出に貢献。さらに04/05シーズンはクラブ史上最高位の3位になってチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得。UEFA杯でもベスト8に進出するなどチーム躍進の原動力となりました。 03/04シーズンのUEFA杯ではバレンシアに敗れますが、相手の指揮官であるベニテス監督がリヴァプールに就任した際、自身の獲得を熱望したためイングランドに渡ります。2005年8月13日ミドルスブラ戦でプレミアデビューすると、8試合連続無失点の新記録を樹立するなど、最終的に20試合無失点を達成しました。また、ウェストハム相手のFA杯決勝でもPK戦で相手のキックを3本も止めて自身初タイトルを手にして最優秀GKに選ばれました。チャンピオンズ・リーグでは決勝トーナメント初戦にてベンフィカに敗れています。 翌シーズン、チャンピオンズ・リーグ準決勝チェルシー戦では1stレグでマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、2ndレグではPK戦でロッベンとジェレミのキックを止めて決勝に進みます。ミランに敗れはしましたが12試合を完封しました。国内リーグでも19の無失点試合(50試合出場時点で28試合の無失点試合を記録し、レイ・クレメンスのクラブ最速記録を更新)を達成するなど安定感が増し、2年連続でプレミア最優秀GKに選ばれました。08/09シーズンの3月にはクラブ史上最速で100個目の完封を見せ、入団以降初めてリーグ戦全試合に出場しました。 2011年11月29日チェルシーとのリーグ杯準々決勝は2−0で勝利し、クレメンスとグロベラーの150試合完封記録を更新し、同タイトルを始めて手にしました。 13/14シーズン、ベルギー代表ミニョレの入団によりナポリへレンタル移籍し、開幕戦のセリエAデビューを完封で飾ります。旧知のベニテス監督にアルビオル、F・フェルナンデスと周囲とのコミュニケーションも問題なく、過密日程にもかかわらずリーグ3位でチャンピオンズ・リーグ出場圏内に入ります。チャンピオンズ・リーグはアーセナル、ドルトムント、マルセイユと激戦区を5試合戦うもグループリーグで敗退しました。ヨーロッパリーグはポルトに敗れました。 バイエルンでノイアーの控えを務め、戻ったナポリでは17/18シーズンは正守護神として優勝争いを展開し、翌シーズンにミランへ移籍しています。 1999年のU−19世界選手権で2試合出場して3位になり、2005年8月17日ウルグアイ戦でフル代表デビューを果たします。正守護神カシージャスや経験豊富なカニサレスの前に出場機会はなかったものの、2006年W杯のメンバーに入りました。 2008年欧州選手権予選は2試合出場し、引退したカニサレスに代わり第2GKとしての地位を確立。本大会ではギリシャ戦に出場して44年ぶりの優勝を達成します。翌年のコンフェデ杯でも1試合に出場し、ホスト国の南アフリカ相手にシャットアウト勝ちを収めました。 2010年W杯予選では1試合出場、本大会ではカシージャスを支え母国初の世界制覇を達成。2年後の欧州選手権予選、本戦も同様の役割で主要大会を3連覇しました。 2013年コンフェデ杯ではタヒチ戦でプレー、味方の10得点にも集中を切らさず完封しました。2014年W杯予選、本大会もカシージャスの控えを務めますが、この正守護神の不振もあり連敗してグループリーグ敗退が決まります。チームのモチベーション低下は否めなかったものの、3戦目を完封して高いプロ意識を見せました。 2018年W杯予選は1試合に出て4度目の本戦に選ばれました。 代表記録 余談 ・イタリアのマルディーニ、スペインのサンチスに続き、チャンピオンズ・リーグ決勝に出場した3組目の親子となりました(父親はA・マドリーで73/74シーズンに出場)。 2008年4月12日:新規アップ 2019年9月27日更新 |