セルゲイ・レブロフ(Serhiy REBROV)
フルネーム セルゲイ・レブロフ
国籍 ウクライナ
出身地 ホールリフカ
生年月日 1974・6・3
身長 175cm
体重 80kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1992・6・27
アメリカ戦
代表背番号 11
W杯メンバー 06年
ニックネーム  
個人タイトル 96,98ウクライナ年間最優秀選手
97/98ウクライナリーグ得点王
99/00UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王(10得点)
チームタイトル 92/93,93/94,94/95,95/96,96/97,97/98,
98/99,99/00,06/07ウクライナリーグ
92/93,95/96,97/98,98/99,05/06,
06/07ウクライナカップ
03/04トルコリーグ
08ロシアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
90/91 シャフタール
91/92 シャフタール 19 10
92/93 ディナモ・キエフ 23
93/94 ディナモ・キエフ 10
94/95 ディナモ・キエフ 24
95/96 ディナモ・キエフ 31
96/97 ディナモ・キエフ 30 20
97/98 ディナモ・キエフ 11 29 22
98/99 ディナモ・キエフ 11 22
99/00 ディナモ・キエフ 11 20 18
00/01 トッテナム(イングランド) 11 29
01/02 トッテナム(イングランド) 11 30
02/03 トッテナム(イングランド) 11
02/03 フェネルバフチェ(トルコ) 13
03/04 フェネルバフチェ(トルコ)  25
04/05 ウェストハム(イングランド2部) 27
05/06 ディナモ・キエフ 5 27 13
06/07 ディナモ・キエフ 5 17
07/08 ディナモ・キエフ 5
08 ルビン・カザン(ロシア) 24
09 ルビン・カザン(ロシア)
テクニックとスピードを備え、空いたスペースへの走り込みやスペースメークと、オフ・ザ・ボールの動きに長けたウクライナリーグ最多得点記録保持者です。

シャフタールの育成組織で経験を積み、17歳でトップチームに昇格します。2シーズン目に10得点と早くも結果を残し、92/93シーズンにライバルのD・キエフへ移籍します。
以来99/00シーズンに退団するまで8年連続でリーグチャンピオンとなり、ウクライナ最高の監督であるロバノフスキの下、シェフチェンコと共に強力2トップを形成します。
97/98シーズン、グループリーグではバルセロナ相手に2試合とも勝利をもたらす5試合連続得点を挙げると、準々決勝ユヴェントス戦でも敗れはしますが一矢報いるなど8得点を挙げてデル・ピエロに次ぐランキング2位になります。また、国内リーグでは得点王を獲得して2度目の国内年間最優秀選手に選ばれました。翌シーズンもチャンピオンズ・リーグではシェフチェンコに次いでマンチェスター・Uのヨークと並ぶ8得点をグループリーグだけで叩き出します。さらにR・マドリーも退け準決勝に進出してヨーロッパに旋風を巻き起こしました。
99/00シーズンは2次リーグで敗退しますが10得点を挙げ、ラウール、リヴァウド、ジャルデウと共に得点王となります。シェフチェンコの存在で負担が軽減されるのはもちろん、フシンやコソフスキといったプレーメーカーによる好アシストも得点の量産につながりました。
00/01シーズンに国外初挑戦となるトッテナムに入団します。初年度こそ活躍しますが翌年にグレアム監督が去ると、新指揮官となったホドルの構想外になりました。そしてフェネルバフチェへレンタル移籍してリーグ優勝を手にしたものの、あくまでファン・ホーイドンクやトゥンジャイの控えであったため満足な結果を残すことができませんでした。
04/05シーズンは2部のウェストハムに移籍して昇格に尽力し、05/06シーズンから古巣に復帰。2シーズン目にシャフタールからリーグの覇権を奪回します。チャンピオンズ・リーグでも2年連続で出場しましたが、6試合1得点に終わりました。
その後ロシアでプレーし、09シーズンを最後に現役を引退しました。

ユース代表を経て、1992年6月27日アメリカ戦でフル代表デビューします。以降クラブの僚友シェフチェンコと共に長きにわたり代表をけん引します。1998年W杯予選は10試合で3得点を挙げますが、プレーオフでクロアチアに敗れました。2000年欧州選手権予選ではプレーオフのスロヴェニア戦で得点を挙げましたが、本大会出場はなりませんでした。
2002年W杯予選は9試合無得点に終わり敗退、2004年欧州選手権予選は5試合無得点と不発が続いて本大会出場はなりませんでした。
2006年W杯予選にて英雄ブロヒン監督の下、トルコ、デンマーク、ギリシャと強者ぞろいのグループを突破しました。予選ではサブでしたが本大会では4試合に出場。サウジアラビア戦ではロングシュートを決め、初出場ながらベスト8進出を果たしました。
2008年欧州選手権予選は1試合の出場と監督の構造から外れ、チームもフランスとイタリアの2強の前に出場を逃しています。
代表記録 74試合15得点

余談
・アマチュア無線の資格を持っています。
2010年5月5日:新規アップ 2012年8月12日更新