リカルド・カルヴァーリョ(Ricardo CARVALHO)
フルネーム
国籍 ポルトガル
出身地 アマランテ
生年月日 1978・5・18
身長 183cm
体重 79kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・10・11
アルバニア戦
代表背番号 6 16
W杯メンバー 06年 10年
ニックネーム リッキー
個人タイトル 02/03ポルトガルリーグ年間最優秀選手
03/04UEFA最優秀DF
03/04UEFAベストイレブン
04UEFA欧州選手権ベストイレブン
チームタイトル 98/99,02/03,03/04ポルトガルリーグ
02/03UEFAカップ
02/03ポルトガルカップ
03/04UEFAチャンピオンズ・リーグ
04FIFAインターコンティネンタル・カップ
04/05,05/06,09/10プレミアリーグ
04/05,06/07イングランドリーグ・カップ
06/07,08/09,09/10FAカップ
10/11コパ・デル・レイ
11/12リーガ・エスパニョーラ
16UEFA欧州選手権
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97/98 レサ 13 22
98/99 ポルト 13
99/00 セトゥーバル 27 25
00/01 アルベルサ 26 29
01/02 ポルト 4 25
02/03 ポルト 4 18
03/04 ポルト 4 29
04/05 チェルシー(イングランド) 6 25
05/06 チェルシー(イングランド) 6 24
06/07 チェルシー(イングランド) 6 31
07/08 チェルシー(イングランド) 6 21
08/09 チェルシー(イングランド) 6 12
09/10 チェルシー(イングランド) 6 22
10/11 レアル・マドリー(スペイン) 2 33
11/12 レアル・マドリー(スペイン) 2
12/13 レアル・マドリー(スペイン) 11
13/14 モナコ(フランス) 6 37
14/15 モナコ(フランス) 6 25
15/16 モナコ(フランス) 6 33
17 上海上港(中国) 16
厳しいマークやタックルなど人への強さ、ハイボールへの制空権を握る高さ、カバーリングやライン統率をこなす頭脳と守備の資質を高いレベルで備えています。足元の技術にも優れ両足を難なく使いこなします。高精度のフィードや時折見せる前線への攻めも武器です。

12歳から地元のアマランテ・フットボールクラブに加入し、6年間技術を磨いた後1996年にポルトの下部組織へ。97/98シーズンにレサでプロデビューし、翌シーズンにポルトへ復帰します。チームはリーグ優勝したものの、自身はわずか1試合の出場に終わりました。
翌年よりV・セトゥバル、アルベルサと2シーズンのレンタルを経て、01/02シーズンにポルトへ復帰し、1月にはモウリーニョが監督に就任します。また、主将のJ・コスタがマチャラ前監督との確執から冬にチャールトンへ去ったこともあり、出場機会が増えました。
02/03シーズンは復帰したJ・コスタやP・エマヌエルのバックアッパーでしたが、国内リーグと国内カップ、UEFA杯の3冠を成し遂げました。翌シーズンはリーグ連覇に加え、チャンピオンズ・リーグでは12試合に出場、クラブに2度目のビッグイヤーをもたらしました。
04/05シーズンに、モウリーニョ監督と右SBのP・フェレイラと共にチェルシーへ移籍。R・マドリーなども獲得を狙っていた自身に約40億円の値段がつきました。8月15日マンチェスター・U戦でプレミアデビューし、生え抜きのCBテリーとコンビを組みます。つま先を故障し2ヶ月戦線を離れた時期もありましたが、25試合に出場。シーズンの失点15という驚異的な守備の原動力となってチーム50年ぶりのリーグ制覇に貢献します。翌シーズンの4月29日マンチェスター・U戦では前線へ飛び出してミドルシュートを決めるなど、連覇を達成しました。
3年目は自己最多の31試合に出場。4年目はマンチェスター・Uの前に、リーグにチャンピオンズ・リーグと、いずれもあと一歩のところで涙をのみました。その後はケガで戦列を離れる場面が散見され、アレックスの台頭もあって自身3度目のリーグ制覇は不完全燃焼となりました。
10/11シーズン、R・マドリーに就任したモウリーニョ監督の希望でスペインへ渡ります。8月29日マジョルカ戦でリーグデビューし、マドリードダービーでゴールも挙げます。しかし2年目はケガに泣き、3年目もヴァランの台頭で出番に恵まれず、モナコへフリーで移ります。
2013年8月10日、ボルドーとの開幕戦でフランスリーグにデビュー、チーム最多の37試合に出場し、アビダルとの円熟味ある2バックで2位になりました。
15/16シーズンで契約が切れ、中国で引退しました。

2003年10月11日のアルバニア戦でフル代表デビューを果たし、翌年に母国で開催された欧州選手権のメンバーに選ばれました。開幕戦でチームがギリシャに敗れる緊急事態となり、黄金世代で大会当初のレギュラーで、自身あこがれの選手でもあるF・コウトに代わってレギュラーに抜擢され、その後全試合にフル出場して守備を安定させ、準優勝に貢献。この活躍でUEFAの2004年最優秀イレブンに選出されるなど、個人的にも飛躍を遂げました。
2006年W杯予選は9試合に出場。ホームのルクセンブルク戦ではゴールも決めて本大会出場に貢献すると、3位決定戦を除く全ての試合に出場し、ベスト4進出の原動力となりました。
2008年欧州選手権予選では8試合で1ゴールの活躍を見せると、本大会では3試合にフル出場してベスト8に進出しました。
2010年W杯予選も10試合プレー。本大会でも4試合スタメン出場しますが、決勝トーナメントで優勝するスペインに敗れてました。2016年欧州選手権予選もチーム最年長ながらDF最多の6試合に出場、本戦もグループリーグ3試合に出場して初優勝を果たしています。
代表記録 88試合6得点

※:リカルド・アルベルト・シルヴェイラ・カルヴァーリョ
2006年12月23日:新規アップ 2018年8月7日更新