ブランコ・ラゾヴィッチ(Branko RASOVIC)
フルネーム ブランコ・ラゾヴィッチ
国籍 モンテネグロ  
出身地 ポドゴリツァ
生年月日 1942・4・11
身長 186cm
体重 80kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1964・4・1
ブルガリア戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 64/65ユーゴスラヴィアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
62/63 ブドゥチノスト 22
63/64 ブドゥチノスト(2部)    
64/65 パルティザン 17
65/66 パルティザン 21
66/67 パルティザン 24
67/68 パルティザン
68/69 パルティザン 22
69/70 ドルトムント(ドイツ) 15
70/71 ドルトムント(ドイツ) 31
71/72 ドルトムント(ドイツ) 33
72/73 ドルトムント(ドイツ2部) 10
73/74 ドルトムント(ドイツ2部) 20
マンマークや跳躍力を活かした空中戦と人に強く、味方のカバーリングやポジショニングも的確なユーゴスラヴィア代表のストッパーです。

ブドゥチノストにて62/63シーズンからキャリアを始めて22試合に出場しましたが、1年で降格しました。2年目が終わった後パルティザンに引き抜かれます。
1年目から先発を任され、リーグ優勝を達成します。GKクルコヴィッチや、L・ミハイロヴィッチ、ダムヤノヴィッチ、パウノヴィッチとのDF陣で5年戦い、210試合2得点の成績を残しました。
また、2年目はチャンピオンズ杯でもプレーし、ナント、ブレーメン、スパルタ・P、マンチェスター・Uを破って決勝にコマを進めます。そして後半10分に味方FWバソヴィッチのゴールで先制しますが、ヘントやピリを擁するR・マドリーに逆転され、ビッグイヤー獲得はなりませんでした。
69/70シーズンにドルトムントへ移ります。ここでも最終ラインのかなめとなりましたが、自己最多の33試合に出場した71/72シーズンは17位で終わって2部降格となりました。
2部の順位も4位、6位と1部復帰に手が届かず、73/74シーズンを最後に引退しました。

代表デビューは、1964年4月1日ブルガリア戦。2年後のW杯予選は1試合プレーしました。
代表記録 10試合

余談
・息子のヴクもパルティザンでプレーし、指導者としても活躍しています。
2014年10月25日:新規アップ