イヴァン・ラキティッチ(Ivan RAKITIC)
フルネーム イヴァン・ラキティッチ
国籍 クロアチア  
出身地 ラインフェルデン
生年月日 1988・3・10
身長 184cm
体重 77kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2007・9・8
エストニア戦
代表背番号
W杯メンバー 14年 18年
ニックネーム ロケット
個人タイトル 06/07スイス年間最優秀若手選手
13/14,14/15リーガ・エスパニョーラベストイレブン
13/14UEFAヨーロッパリーグベストイレブン
14/15UEFAチャンピオンズ・リーグベストイレブン
15クロアチア年間最優秀選手
15クロアチア年間最優秀スポーツ選手
チームタイトル 06/07スイスカップ
13/14UEFAヨーロッパリーグ
14/15,15/16,17/18リーガ・エスパニョーラ
14/15〜17/18コパ・デル・レイ
14/15UEFAチャンピオンズ・リーグ
15FIFAクラブワールドカップ
18/19ラ・リーガ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
05/06 バーゼル(スイス) 17
06/07 バーゼル(スイス) 17 33 11
07/08 シャルケ(ドイツ) 10 29
08/09 シャルケ(ドイツ) 10 23
09/10 シャルケ(ドイツ) 10 29
10/11 シャルケ(ドイツ) 10 16
10/11 セビージャ(スペイン) 40 13
11/12 セビージャ(スペイン) 11 36
12/13 セビージャ(スペイン) 11 34
13/14 セビージャ(スペイン) 11 34 12
14/15 バルセロナ(スペイン) 4 32
15/16 バルセロナ(スペイン) 4 36
16/17 バルセロナ(スペイン) 4 32
17/18 バルセロナ(スペイン) 4 35
18/19 バルセロナ(スペイン) 4 34
19/20 バルセロナ(スペイン) 4    
トップスピードでも精度を失わず、ドリブル、パス、ワンツーで局面を打開、FKやミドルと得点力もあります。守勢で汗をかくこともいとわない現代サッカーを体現する選手です。

家族が移住したスイスに生まれ、選手である父親の影響を受けてバーゼルに入ります。セルビア代表クズマノヴィッチらと成長し、2005年9月29日のUEFA杯シロキ・ブリイェグ戦にて17歳でトップチームに、2006年4月15日N・ザマックス戦で1部にデビューします。
2年目はUEFA杯で9試合に出場。国内ではザンクト・ガレン戦でのゴールが年間最優秀ゴールになるなど33試合で11ゴールを挙げ、リーグ新人王を獲得しました。
07/08シーズンにシャルケと4年契約します。8月10日シュツットガルト戦でブンデスデビューして同点弾を決め、バイエルン戦でも先制します。その後もボーフム戦など3ゴール8アシストと結果を残しました。チャンピオンズ・リーグでも7試合戦い16強になりました。
2年目は1ゴールに終わるも7アシストをし、3年目はルール・ダービーでの決勝ゴールや本拠ボルシアMG戦での2ゴールなど、7ゴールを挙げました。3年目は前半戦の16試合で1ゴールに終わり、チャンピオンズ・リーグでもH・テルアヴィヴ戦で2アシストを決めました。
10/11シーズンの冬にセビージャと4年半の契約を結び、2月6日マラガ戦でリーガデビュー。ラシン戦ではオウンゴールしますが、エルクレス、A・マドリー戦など5ゴール2アシストと盛り返しました。3年目はイエロー10枚、レッド2枚と守備で苦労しますが、攻撃ではR・マドリー相手に決勝アシスト、ベティス戦との両試合など8ゴール10アシストと面目を保ちました。
4年目も敗れはするもののバルサ相手に1ゴール1アシスト、アウェーでR・マドリーに2ゴールします。その後もベティス戦で2アシストし、ホームのR・マドリー戦の決勝アシストなど、ガメイロ、バッカと共に2ケタゴールと10アシストしました。ヨーロッパリーグでも18試合で準決勝バレンシア戦など3ゴール3アシストで優勝しました。
14/15シーズンにバルサと5年契約し、グアルディオラ監督の4番を着けます。MSNやイニエスタと連携して2度の1ゴール1アシストを見せ、チャンピオンズ・リーグでもユヴェントスとの決勝で先制点を挙げて3冠に貢献し、史上初めて異なるクラブでヨーロッパリーグとチャンピオンズ・リーグを制した選手になりました。2年目はバレンシア戦でオウンゴールしますが、30試合に先発して国内タイトルを防衛しました。3年目もアウェーのクラシコで1ゴール1アシストして勝ちました。
4年目はバルセロナ・ダービーで2アシスト、ベティス戦で1ゴール1アシストしました。チャンピオンズ・リーグではユヴェントスから点を取りますが、ベスト8にとどまりました。
5年目もクラシコでの決勝点など3ゴール5アシスト、カップ戦でも1ゴール3アシスト、チャンピオンズ・リーグでもトッテナムにゴール、インテルにアシストしました。

ユース時代はスイス代表として2005年U−17欧州選手権でプレー。2007年9月8日エストニア戦にて両親の祖国クロアチア代表に19歳5ヶ月の最年少デビューを果たしました。
2008年欧州選手権予選はこの試合含め4試合プレーし、アンドラ戦で初ゴールを決めました。本大会は3試合に先発しますが、準々決勝ではトルコとのPK戦でミスしました。
2010年W杯予選ではチームで唯一全10試合に出場して3ゴールを挙げましたが、出場権獲得はなりませんでした。2012年欧州選手権予選は8試合、本戦も3試合に出ました。
2014年W杯予選は10試合に出場してマケドニア戦でFKとアシストを決めます。本大会は3試合に出場しますが、開催国ブラジルとメキシコに敗れました。
2016年欧州選手権予選は10試合に出場、ブルガリア戦で点を取ります。本大会では4試合に出場してチェコ戦で追加点を挙げますが、終了間際に追いつかれました。
2018年W杯予選は8試合戦い、トルコ戦で先制のPKを成功させます。本大会では7試合戦い、アルゼンチン戦でダメ押し点を挙げるなど母国初の準優勝に貢献しました。
ネーションズリーグは3試合に出ました。
代表記録

余談
・5ヶ国語を操るマルチリンガルです。
2017年10月29日:新規アップ 2019年7月7日更新