ライー(RAI)
フルネーム ライー・ソウザ・ビエイラ・ジ・オリベイラ
国籍 ブラジル  
出身地 リベイロン・プレト
生年月日 1965・5・15
身長 189cm
体重 87kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1987・5・19
イングランド戦
代表背番号 8 10 16 18
W杯メンバー 94年
ニックネーム  
個人タイトル 92南米年間最優秀選手(エル・パイース紙)
92FIFAインターコンティネンタル・カップ最優秀選手
92南米ベストイレブン
チームタイトル 87,89,91,92,98サンパウロ州選手権
91ブラジル全国選手権
92,93コパ・リベルタドーレス
92FIFAインターコンティネンタル・カップ
93レコパ・スダメリカーナ
93/94ディヴィジョンアン
94FIFAワールドカップ
94/95,97/98フランスカップ
94/95,97/98フランスリーグ・カップ
95/96UEFAカップウィナーズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
84 ボタフォゴ(3部) 13
85 ボタフォゴ(3部) 25
86/87 ボタフォゴ(3部)    
86/87 ポンチ・プレッタ 10
87/88 ボタフォゴ(2部)    
87/88 サンパウロ
88/89 サンパウロ 19
89 サンパウロ 15
90 サンパウロ 23
91 サンパウロ 22
92 サンパウロ 23
93 サンパウロ    
93/94 パリ・サンジェルマン(フランス) 28
94/95 パリ・サンジェルマン(フランス) 28 12
95/96 パリ・サンジェルマン(フランス) 10 27 14
96/97 パリ・サンジェルマン(フランス) 10 35
97/98 パリ・サンジェルマン(フランス) 10 29 10
98 サンパウロ 8
99 サンパウロ 8 15
00 サンパウロ 8    
長身ながら柔らかい足首による洗練されたボールコントロールと冷静な判断からのパスワークでゲームを作ると同時に、決定力も兼備するブラジル屈指の攻撃的MFです。
1982年W杯での「黄金の中盤」の一人ソクラテスの実弟であり、後にサンパウロに入ったMFカカのアイドルとしても知られています。

ボタフォゴでキャリアを始めて4シーズン在籍、P・プレッタを経てサンパウロに入団します。プロ入り当初から兄と比較される重圧と戦い、名将サンターナ就任を機に才能が開花します。
1991年の州選手権と全国選手権を相次いで制覇します。1992年のリベルタドーレス杯決勝ニューウェルス戦では0−1で敗れた第1戦のビハインドからPKを決めて同点に追いつくと、その後のPK戦を制してクラブ初、ブラジル勢として9年ぶりのタイトルを獲得しました。
クライフ監督率いるバルセロナとのインターコンティネンタル杯では、ストイチコフのゴールで1点のビハインドを背負いますが、FK含む2ゴールで逆転勝ちに貢献して大会最優秀選手に選ばれ、さらにエル・パイース紙による南米年間最優秀選手とダブル受賞しました。
翌1993年のリベルタドーレス連覇を置き土産にPSGに移ります。同胞のMFバウド、ジノラやウェア、J・C・D・バルデス、ジョルカエフといったワールドクラスと共に一時代を築き、リーグ、国内カップ、カップウィナーズ杯と相次いでタイトルを獲得。2年目はチャンピオンズ・リーグに臨みバイエルンやバルセロナを退けますが、準決勝でミランの堅守に封じられました。
4年目はレオナルドと連携、カップウィナーズ杯決勝でバルセロナと対戦しますが、ロナウドに決められて連覇はなりませんでした。5年目は2ケタゴールも8位と実らず退団しました。
5年ぶりに戻ったサンパウロでは結果を残せず00シーズンに現役生活を終え、多くの栄光に彩られたパリで引退試合を行いました。

1987年5月19日イングランド戦で代表デビューし、主将も任されるようになります。5試合に出場した1994年W杯では初戦でPKを決めるものの大会前からの不調を払拭できず、優勝トロフィーを掲げたのは自らの代わりに腕章を巻いたドゥンガでした。
代表記録 49試合17得点

2017年8月4日:新規アップ