マルセル・ラドゥカヌ(Marcel RADUCANU) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | マルセル・ラドゥカヌ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ルーマニア | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ブカレスト | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1954・10・21 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 74kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1976・4・6 オランダ戦 |
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代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | バルカンのマラドーナ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 80ルーマニア年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 75/76,77/78ルーマニアリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
75/76,78/79ルーマニアカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
72/73 ステアウア・ブカレスト | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
73/74 ステアウア・ブカレスト | 23 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
74/75 ステアウア・ブカレスト | 19 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
75/76 ステアウア・ブカレスト | 31 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
76/77 ステアウア・ブカレスト | 21 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
77/78 ステアウア・ブカレスト | 31 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
78/79 ステアウア・ブカレスト | 34 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
79/80 ステアウア・ブカレスト | 33 | 23 | |||||||||||||||||||||||||||
80/81 ステアウア・ブカレスト | 31 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
82/83 ドルトムント(ドイツ) | 26 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
83/84 ドルトムント(ドイツ) | 26 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
84/85 ドルトムント(ドイツ) | 25 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
85/86 ドルトムント(ドイツ) | 29 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
86/87 ドルトムント(ドイツ) | 32 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 ドルトムント(ドイツ) | 25 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 チューリッヒ(スイス2部) | 33 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 チューリッヒ(スイス2部) | 14 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
華麗なボールコントロールと正確なパスでチャンスを作る一方、切れ味鋭いドリブル突破やFKなど独力で相手ゴールを脅かすルーマニアの名手です。 ユースレベルからS・ブカレストで過ごし、72/73シーズンにトップチームに昇格。FWヨルダネスクと共にチームをけん引し、75/76シーズンに17得点を挙げてリーグとカップの国内2冠に貢献。その後もタイトルを獲得し、1980年には国内最優秀選手に選ばれました。 1981年の夏にクラブが西ドイツでキャンプした際に亡命、ハノーファーとドルトムントとの二重契約を行ったため、欧州連盟から1年間の出場停止処分を受けました。 82/83シーズンにドルトムントに入団し、シュツットガルト戦でブンデスリーガにデビューします。エースのブルグスミュラーを援護するだけでなく、自身も当時のルーマニア人選手最多の9得点を挙げ、ブランクを感じさせないパフォーマンスを披露しました。その後もキャプテンのツォルクと共にチームの軸となり、5年目は4位になりました。これを受けて6年目にはUEFA杯に出場、セルティックとV・モスタルに勝ちますが、3回戦でC・ブルージュに敗れました。 88/89シーズンにスイス2部へ移籍し、2年目を最後に引退しました。その後はドルトムントにサッカースクールを設立しています。 代表デビューは1976年4月6日オランダ戦です。1980年欧州選手権予選は3試合で2得点を挙げますが、本戦出場はなりませんでした。 1982年W杯予選ではイングランド戦で先制点を挙げて勝利しました。 代表記録 21試合3得点 2017年7月1日:新規アップ |