ハビエル・ポルティージョ(Javier PORTILLO)
フルネーム ハビエル・ガルシア・ポルティージョ
国籍 スペイン  
出身地 アランフェス
生年月日 1982・3・30
身長 180cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー  
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 01/02UEFAチャンピオンズ・リーグ
02/03リーガ・エスパニョーラ
02FIFAインターコンティネンタル・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01/02 レアル・マドリー 39
02/03 レアル・マドリー 18 10
03/04 レアル・マドリー 18→11 18
04/05 フィオレンティーナ(イタリア) 18 11
04/05 レアル・マドリー 17
05/06 レアル・マドリー 17
05/06 クラブ・ブルージュ(ベルギー) 22 24
06/07 ヒムナスティック 9 34 11
07/08 オサスナ 9 18
08/09 オサスナ 9 20
09/10 オサスナ 9
09/10 エルクレス(2部) 12 16
10/11 エルクレス 9 26
11/12 ラス・パルマス(2部) 15 34
12/13 エルクレス(2部) 9 40 17
13/14 エルクレス(2部) 9 38 10
14/15 エルクレス(3部) 9 33
15/16 エルクレス(3部) 9 13
スピードあふれる突破や類まれな嗅覚により、「ポルティ・ゴール」の愛称で親しまれるR・マドリー下部組織出身のストライカーです。

地元アランフェスでプレーしていた時に皇太子杯に出場し、得点王とMVPを獲得します。その試合がR・マドリーのスカウトの目に留まり、当時下部組織を指揮していたデル・ボスケの決断によって11歳で育成組織に入ることになりました。
サッカーに専念できる環境を得たことで素質が磨かれ、その結果はやがて顕著に表れます。デビュー戦で名刺代わりにいきなり5ゴールを挙げて衝撃を与えると、その後毎年のようにネットを揺らし続け、ジュニアからユースまでの全年代のチームで得点王を獲得。また、ラウールが保持していた下部リーグ通算最多記録190を大幅に更新する396ゴールとしました。
2002年3月20日にトップチームに招集され、チャンピオンズ・リーグ第6節パナシナイコス戦の後半にモリエンテスと交代出場。そして左足を振りぬき30mのロングシュートを決めました。その後プロ契約を結んで第5節アラベス戦でリーガにデビューし、年明けのバレンシア戦でジダンのパスを左足で流し込みます。優勝がかかった最終節のビルバオ戦でもゴールを挙げるなど10試合で5ゴールを挙げました。チャンピオンズ・リーグでもドルトムント戦の終了間際にジダンのパスから起死回生の同点ゴールを挙げて決勝トーナメント進出に貢献。ロナウド、ラウール、モリエンテスと実績十分のFWがそろう中で、限られた機会をものにしました。
翌03/04シーズンは背番号11となりますが1ゴールしか挙げられず、その後も毎年のように大物FWの加入があり、イタリア、ベルギーとレンタル移籍を繰り返しました。
06/07シーズンはヒムナスティックでエースとして孤軍奮闘しますが降格し、オサスナへ移籍します。しかし結果を残せず09/10シーズン途中に2部のエルクレスへ移籍し、終盤に5ゴールを挙げてクラブ13年ぶりの1部昇格に貢献しました。その後はトレゼゲやバルデスの加入によりベンチスタートが多くなり、わずか1ゴールに終わりました。
その後ラス・パルマスで34試合8ゴールと巻き返し、2部に落ちたエルクレスに戻ります。そして5度の1試合2ゴールなど17ゴールを挙げるも16位に終わります。2年目も昇格するコルドバ相手のシーズン初ゴールなど2ケタを果たしますが、最下位で3部降格となりました。
15/16シーズンに引退し、そのままチームスタッフに転身しています。

2004年欧州選手権で指揮を執るサエス監督によりU−21代表へ招集されましたが、フル代表のプレーは未経験です。

2006年12月16日:新規アップ 2015年12月29日更新