ロブソン・ポンテ(Robson PONTE)
フルネーム ロブソン・ポンテ
国籍 ブラジル※
出身地 サンパウロ
生年月日 1976・11・6
身長 174cm
体重 69kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー  
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム ロビー
個人タイトル 07Jリーグ年間最優秀選手
07Jリーグベストイレブン
07AFCチャンピオンズ・リーグ得点王(4得点)
チームタイトル 05,06天皇杯
06Jリーグ
07AFCチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95 ジュヴェントス    
96 ジュヴェントス
97 アメリカ    
98 グアラニ 16
99 グアラニ 16
99/00 レヴァークーゼン(ドイツ) 7 24
00/01 レヴァークーゼン(ドイツ) 7 12
01/02 ヴォルフスブルク(ドイツ) 26 31
02/03 ヴォルフスブルク(ドイツ) 26 30
03/04 レヴァークーゼン(ドイツ) 7 20
04/05 レヴァークーゼン(ドイツ) 7 23
05 浦和レッズ(日本) 10 16
06 浦和レッズ(日本) 10 22
07 浦和レッズ(日本) 10 33
08 浦和レッズ(日本) 10 16
09 浦和レッズ(日本) 10 28
10 浦和レッズ(日本) 10 28
11 グレミオ・バレウリ(2部)
豊富なスタミナを持ち、労を惜しまないな動きで2列目から飛び出してゴールを狙い、絶妙のタイミングでラストパスを供給する攻撃的MF。好不調の波が小さい安定感も持ち味です。

18歳の時に地元ジュヴェントスでキャリアをスタートさせます。98シーズンにグアラニに入り、2試合に1回のペースでゴールを挙げました。当時はWGとしてもプレーしていました。
その後レヴァークーゼンとの親善試合で3ゴール2アシストの活躍で注目され、レンタル移籍します。バラック、シュナイダー、同胞エメルソンやゼ・ロベルトなど層が厚かったものの、ダウム監督に実力を認められ優勝を争うチームのバックアッパーとして24試合に出場しました。
完全移籍となった00/01シーズンはわずか12試合の出場に終わり、ヴォルフスブルクにレンタルに出されます。ブルガリア代表M・ペトロフや、05シーズンに浦和でプレーするクロアチア代表マリッチ、元ドイツ代表エッフェンベルクらと共にプレーし、1部残留に貢献しました。
実績を作り満を持してレヴァークーゼンに復帰。後半にケガで3ヶ月の離脱となりましたが、同胞フランサとブルガリア代表ベルバトフの2トップを操り、国内リーグではバイエルン、チャンピオンズ・リーグのグループリーグではR・マドリーと、強豪相手に躍動しました。翌シーズンも開幕はレギュラーでしたが、コンディションが悪かったため、23試合の出場に終わりました。
そしてクラブとの契約が満了し、7月に浦和へ加入。8月20日FC東京戦でJデビューし、1ゴール1アシストで勝利に貢献すると、続く神戸戦でもゴールをマーク。シーズン途中の加入ながら田中達と並ぶチーム2位タイの8ゴールを挙げました。2年目の開幕直後は2試合連続ゴールを挙げるなど好調を持続するものの、6月に右足首を負傷し戦線離脱しました。しかし復帰後は川崎F戦や最終節G大阪戦など重要な試合でゴールを挙げてリーグ優勝、天皇杯でも準決勝鹿島戦で勝ち越しゴールを挙げるなど、チームの2冠獲得に大きく貢献しました。
07シーズンも永井雄とワシントンの2トップを操りチームをけん引、ACLでは4ゴールを挙げて日本のクラブ初の優勝に大きく貢献します。その後のインターコンティネンタル杯にケガで出られなかったのが悔やまれるところでしたが、Jリーグ年間最優秀選手に選ばれました。
ケガ以降は精彩を欠き、自身の出来と同時にチームも下降線をたどることから、その存在の大きさをうかがわせます。10シーズンもいずれもチーム2位となる9ゴール7アシストをマークしながら、終了後に戦力外通告を受けて5年半過ごした日本を後にしています。

※:イタリア国籍もあり
2010年1月4日:新規アップ 2014年7月15日更新