エマニュエル・ポガテツ(Emmanuel POGATETZ)
フルネーム エマニュエル・ポガテツ
国籍 オーストリア ポガテツ
出身地 グラーツ
生年月日 1983・1・16
身長 189cm
体重 76kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2002・5・18
ドイツ戦
代表背番号
W杯メンバー  
ニックネーム ポギー
個人タイトル  
チームタイトル 03/04オーストリアリーグ
03/04オーストリアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 シュトルム・グラーツ
00/01 ケルンテン 33
01/02 レヴァークーゼン(ドイツ) 24
02/03 レヴァークーゼン(ドイツ) 24
02/03 アーラウ  21
03/04 グラーツァ 18 31
04/05 グラーツァ 18 22
05 スパルタク・モスクワ(ロシア) 3 11
05/06 ミドルスブラ(イングランド) 12 24
06/07 ミドルスブラ(イングランド) 12 35
07/08 ミドルスブラ(イングランド) 6 24
08/09 ミドルスブラ(イングランド) 6 27
09/10 ミドルスブラ(イングランド2部) 6 13
10/11 ハノーファー(ドイツ) 4 28
11/12 ハノーファー(ドイツ) 4 29
12/13 ヴォルフスブルク(ドイツ) 5
12/13 ウェストハム(イングランド) 18
13/14 ニュルンベルク(ドイツ) 2 23
14 コロンバス・クルー(アメリカ) 5
15 コロンバス・クルー(アメリカ) 5 19
15/16 ウニオン・ベルリン(ドイツ2部) 3 11
16/17 ウニオン・ベルリン(ドイツ2部) 3
17/18 LASK 4 23
18/19 LASK 4 19
19/20 LASK 4    
反則覚悟のハードなマークが持ち味の守備、セットプレー時のヘディングでの攻撃と、両方の局面で役割を果たすDF。長身ながら足元の技術が高く、左SBとCBをこなします。
熱しやすい性格でケガに弱いものの、常に全力で臨む姿は周囲から支持を得ています。

S・グラーツでキャリアを始めますが、オシム監督が指揮していた当時は出番はなく、ケルンテンでプロデビューします。レギュラーとして33試合に出場し、レヴァークーゼンに引き抜かれました。しかしトップチームの選手層が厚いため出番はなく、下部組織でプレーしました。
その後、アーラウやグラーツァといった母国クラブやS・モスクワへレンタル移籍して試合勘を取り戻します。特にクランクル監督の下で戦った03/04シーズンはレギュラーを張り、国内2冠達成に貢献。チャンピオンズ・リーグ予備選でもアヤックスを追い詰めるゴールを決め、UEFA杯本戦にも2試合出場しました。翌シーズンはリヴァプールの前に予備選で敗れて本戦出場を逃しますが、UEFA杯では7試合で1ゴールを決めました。S・モスクワでは、タックルにより相手選手を骨折させたため、サッカー協会から長期出場停止処分を受けました。
05/06シーズンにミドルスブラへ移籍します。8月28日チャールトン戦でプレミアリーグにデビューし、マクラーレン監督からは左SB、またはサウスゲイトのパートナーとしてCBとしても起用され24試合に出場、サンダーランドとのアウェー戦で初ゴールを決めます。ただ、UEFA杯準決勝バーゼル戦で相手のクロアチア代表FWペトリッチと交錯して鼻を骨折したり、ヘルニアにかかったりするなど、コンディショニングに苦しんだ時期もありました。
翌06/07シーズンはCBに固定され、加入してきたウッドゲイトやフートらとコンビを組んで守備を安定させます。本拠チェルシー戦では残り10分で同点ゴールを決めて逆転勝利の口火を切るなど35試合2ゴールでファン投票のチーム最優秀選手となりました。
08/09シーズンは降格しますが、移籍せず1年でのプレミア復帰を目指します。しかし13試合の出場にとどまり、5年間過ごしたイングランドを後にしました。
10/11シーズンにハノーファーへ移籍し、8月21日フランクフルト戦でブンデスリーガにデビュー。本拠レヴァークーゼン戦では退場するものの、2年連続でリーグ最多失点を喫していた守備陣を立て直し、15位から4位とチームの躍進に貢献してヨーロッパリーグ出場権を獲得。翌シーズンは同大会ではベスト8になり、国内でもブンデスリーガで唯一本拠無敗を達成するなど7位と再びヨーロッパリーグの出場権を獲得しました。自らは12/13シーズンにヴォルフスブルクへ移りますが、ナウドやケアと層が厚く前半戦で1ケタの出場数に終わりました。
シーズン途中にレンタルされたウェストハムでも活躍できず、フリーでニュルンベルクへ移籍します。ドルトムント戦ではニルソンの同点ゴールを演出するなど23試合に出場しましたが、1年で退団しました。その後渡米して2014年10月11日にMLSデビューしました。
ドイツ3部を経て17/18シーズンに母国リーグへ戻っています。

2002年5月18日、ドイツとの親善試合で代表デビューします。その後レギュラーとなり、2004年欧州選手権予選はアウェーのオランダ戦でゴールを挙げますが、チェコとオランダの前に予選で敗退。2006年W杯予選も8試合に出場しますが、本大会出場はなりませんでした。
ホスト国として迎えた2008年欧州選手権ではグループリーグで姿を消しましたが、3試合フル出場を果たします。その後の2010年W杯予選は5試合、2012年欧州選手権予選は6試合、2014年W杯予選は9試合戦いましたが、いずれも出場権を獲得できませんでした。
代表記録

2007年9月8日:新規アップ 2019年6月28日更新