シルヴィオ・ピオラ(Silvio PIOLA)
フルネーム シルヴィオ・ピオラ
国籍 イタリア
出身地
生年月日 1913・9・29
身長 180cm
体重 78kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1935・3・24
オーストリア戦
代表背番号  
W杯メンバー 38年
ニックネーム  
個人タイトル 36/37,42/43セリエA得点王
チームタイトル 38FIFAワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
27/28 プロ・ヴェルチェリ
28/29 プロ・ヴェルチェリ 32 13
29/30 プロ・ヴェルチェリ 31 12
30/31 プロ・ヴェルチェリ 32 11
31/32 プロ・ヴェルチェリ 28 15
32/33 プロ・ヴェルチェリ 32 11
33/34 プロ・ヴェルチェリ 28 15
34/35 ラツィオ 29 21
35/36 ラツィオ 27 19
36/37 ラツィオ 28 21
37/38 ラツィオ 28 15
38/39 ラツィオ 21
39/40 ラツィオ 23
40/41 ラツィオ 25 10
41/42 ラツィオ 24 18
42/43 ラツィオ 22 21
43 第二次世界大戦のため中断    
44 トリノ    
45 第二次世界大戦のため中断    
45/46 ユヴェントス 29 16
46/47 ユヴェントス 28 10
47/48 ノヴァーラ 30 16
48/49 ノヴァーラ 36 15
49/50 ノヴァーラ 17
50/51 ノヴァーラ 37 19
51/52 ノヴァーラ 31 18
52/53 ノヴァーラ 25
53/54 ノヴァーラ
長身で頑強なフィジカルで空中戦に強さを発揮するのはもちろん、スピードや無尽蔵のスタミナなどFWに必要な要素が備わっています。代表で2トップを組むエレガントなプレーをするメアッツァとは対照的であり、この相互関係は他国の脅威となりました。

ロンバルディア州で生まれます。幼少時に父親が他界する不幸に見舞われ、ヴェルチェリへ移住します。地元プロ・ヴェルチェリへ入団すると、イタリアで全国単一リーグとなった1930年2月16日ボローニャ戦にて弱冠17歳でデビューします。
フィオレンティーナ戦では、セリエAの一試合最多得点記録となる6得点を挙げるなど実力を発揮、毎シーズン2ケタ得点を計算できる活躍を見せてラツィオに引き抜かれます。
ここでもエースの座を確立させ、36/37、42/42シーズンと2度の得点王を獲得します。前者ではチームをボローニャに3ポイント差にせまるリーグ2位に導きました。
インテルのエースであるメアッツァが自身の獲得を切望しましたが、第二次大戦での兵役により入団はなりませんでした。ラツィオでは歴代最多となる143得点を記録しました。
その後、ユベントス、トリノ、ノヴァーラと渡り歩き、単一リーグ以降の274得点、以前を含めると290得点という事実上の最多記録を残し、43歳までの長い現役生活を終えました。

1935年3月24日、「ヴンダーチーム」と呼ばれたオーストリア戦でデビューして後半16分と39分に得点を挙げて勝利に貢献し、ポッツォ監督の信頼を得ます。
迎えた1938年W杯では準々決勝フランス戦、決勝ハンガリー戦でそれぞれ2得点を挙げるなど通算5得点で、史上初の連覇達成の原動力となりました。
戦争などの影響により試合数は34ですが、30得点を記録。キャリアに障害がなければ、さらにこの記録が伸びたことは想像に難くないといえます。
代表記録 34試合30得点
※ロビオ・ロメリーナ

余談
・代表最後である1952年のイングランド戦、1−1のドローで終わったこの試合で得点を手を使って奪いました。当時は否定したものの、しばらく経った後にハンドを認めています。
・1976年に完成したノヴァーラのホームスタジアムの名は、自身の氏名にちなんでいます。
2010年3月26日:新規アップ 2012年9月6日更新

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