マルティン・ペトロフ(Martin PETROV)
フルネーム マルティン・ペトロフ
国籍 ブルガリア  
出身地 ヴラトサ
生年月日 1979・1・15
身長 180cm
体重 76kg
利き足
ポジション FW(LWG)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 1999・6・9
イングランド戦
代表背番号 17
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 06ブルガリア年間最優秀選手
チームタイトル 96/97ブルガリアリーグ
96/97ブルガリアカップ
98/99スイスリーグ
00/01スイスカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96/97 CSKAソフィア
97/98 CSKAソフィア
98/99 CSKAソフィア 12
98/99 セルヴェッテ(スイス) 12
99/00 セルヴェッテ(スイス) 31
00/01 セルヴェッテ(スイス)  32 11
01/02 ヴォルフスブルク(ドイツ) 21 32
02/03 ヴォルフスブルク(ドイツ) 21 26
03/04 ヴォルフスブルク(ドイツ) 21 28
04/05 ヴォルフスブルク(ドイツ) 21 30 12
05/06 アトレティコ・マドリー(スペイン) 17 36
06/07 アトレティコ・マドリー(スペイン) 17 13
07/08 マンチェスター・シティ(イングランド) 15 34
08/09 マンチェスター・シティ(イングランド) 15
09/10 マンチェスター・シティ(イングランド) 15 16
10/11 ボルトン(イングランド) 10 28
11/12 ボルトン(イングランド) 10 31
12/13 ボルトン(イングランド2部) 10 14
12/13 エスパニョール(スペイン) 17
13/14 CSKAソフィア 17 17
突出したスピードで左サイドを突破し、ミドルやFK、クロス、スペースへの飛び出しなど抜群の攻撃性能によりストイチコフの後継者と呼ばれています。

元サッカー選手の父親の下に生まれ、地元のボテフ・ヴラトサでキャリアをスタートさせます。16歳でプロデビューすると、1996年には強豪C・ソフィアに引き抜かれます。
リーグでは出場機会が少なかったものの、UEFA杯で対戦したセルヴェッテに評価されて移籍。ここで得点力を開花させ、タイトル獲得にも貢献しました。
01/02シーズンにヴォルフスブルクへ。7月28日レヴァークーゼン戦でブンデスリーガデビューし、本拠ケルン戦で初得点を記録します。ルーマニア代表ムンテアヌやエッフェンベルク、アルゼンチン代表ダレッサンドロ、後に浦和でプレーするポンテやマリッチらとともにプレーし、4シーズンに渡り1部残留に貢献。04/05シーズンは10月30日マインツ戦で4得点、続く本拠シュツットガルト戦での2得点など、自身2度目の2ケタ得点を記録しました。
05/06シーズンにA・マドリーへ移り、8月28日サラゴサとの開幕戦でリーガデビュー。A・ロペスと左サイドを制圧します。得点こそ減りますがバルサやデポルなどチーム最多の8アシストを挙げ、2006年にはS・ペトロフやベルバトフを抑えてブルガリアMVPとなりました。
07/08シーズンにマンチェスター・Cへ移籍し、8月11日ウェストハム戦でプレミアデビュー。フルハムとニューカッスルの2戦で3得点2アシスト、アウェーのマンチェスター・ダービーでのアシストなど計5得点11アシストでブラジル代表エラーノと共にチームをけん引します。しかし2年目は精彩を欠き、UEFA杯予選1回戦でストレイムル相手に2得点挙げたのが唯一の見せ場となりました。また、ロビーニョ、テベス、アデバヨールの加入で出番が減りました。
10/11シーズンにボルトンへフリーで移籍。フル出場は少ないながら28試合戦い、マンチェスター・U戦で1得点1アシスト、ウェストハム戦で2アシストします。翌シーズンもリーグ戦で4得点6アシストでしたが、チームの結果がついてきませんでした。その後のエスパニョールでは仕事ができず出場した8試合で4敗しましたが、1部に残留できました。
その後古巣に戻ります。L・ソフィアとのダービーで2得点を挙げて5−0での快勝に貢献し、シーズンいっぱいで現役を退いています。

翌年の欧州選手権予選となる1999年6月9日イングランド戦で代表デビュー。最後の代表戦となったストイチコフと交代でピッチに立ちますが、わずか8分で退場しました。2002年W杯予選は9試合プレー、本拠北アイルランド戦で2得点を挙げますが、敗退しました。
2004年欧州選手権予選は7試合2得点で2大会ぶりの出場に貢献します。本大会ではイタリア戦でPKを決めますが、グループリーグで敗退しました。
2006年W杯予選はストイチコフ監督に重用され8試合3得点と奮闘しますが、本大会出場はなりませんでした。2008年欧州選手権予選は初戦のルーマニア戦やオランダ戦など10試合6得点と見事な働きを見せますが、最終的には両者の前に予選敗退となりました。
2010年W杯予選は7試合戦い本拠ジョージア戦で2得点、2012年欧州選手権予選は6試合で無得点に終わり、いずれも敗退しました。
代表記録 90試合20得点

余談
・A・マドリー入団の際、同時加入のアルゼンチン代表ガジェッティとの間に背番号7をめぐり対立、クラブの仲裁の末、最終的に自らが背番号17を着けるようになりました。
2017年11月7日:新規アップ