ウラディミール・ペトコヴィッチ(Vladimir PETKOVIC)
フルネーム ウラディミール・ペトコヴィッチ
国籍 スイス  
出身地
生年月日 1963・8・15
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1997〜98 2005〜08 ベリンツォーナ
1999〜04 マルカントーネ
2004〜05 ルガーノ
2008〜11 ヤングボーイズ
2011〜12 サムスンスポル(トルコ)
2012〜12 シオン
2012〜14 ラツィオ(イタリア)
2014〜   スイス代表
獲得タイトル 12/13コッパ・イタリア
現役時代はMF。84/85シーズンにサラエボでリーグ優勝を経験しますが、自身は2試合にとどまりました。その後はスイスでプレーし、シオン以外は下部リーグを渡り歩きました。

4−3−3ワンボランチ、4−1−4−1など複数のシステムを使い、相手の強弱にかかわらず常に攻撃的な姿勢でゲームに臨みます。
ボスニア・Hの首都サラエボ出身で、37歳の時にスイスに帰化しました。8ヶ国語を操り、「ドクター」の異名をとるインテリですが、熱くなる一面もあります。

1997年からベリンツォーナで選手兼任監督を務めます。その後マルカントーネに就任し、ルガーノと合併した04/05シーズンまで率いました。2期目のベリンツォーナでは3年目に国内カップで決勝に進出しますが、バーゼルに1−4で敗れました。リーグは同胞のMFルリッチを中心に2部を2位で終え、ザンクト・ガレンとのプレーオフを制して1部昇格を果たしました。
その後ヤングボーイズに就任。ドゥンビアが得点王になったものの優勝に届きませんでした。3年目はヨーロッパリーグでグループリーグを突破しますが、ゼニトに敗れました。
サムスンスポルでは低迷し、悪い流れを変えるべくシーズン途中でギリシャ代表FWゲカスを獲得、11試合8得点と結果を残しますが16位で降格して退任しました。その後古巣シオンに戻ってミランからガットゥーゾを獲得しますが、ラツィオのオファーもあり3週間で退任しました。
初のカルチョでも一時は首位ユヴェントスに3ポイント差まで迫ったものの、クローゼの離脱により順位が下降しました。それでも国内カップでは準決勝でユヴェントス、ローマ・ダービーとなった決勝ではルリッチが得点を挙げて優勝し、ヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。
2年目はビリアやF・アンデルソンを獲って戦力を上げますが、ヨーロッパリーグとの過密日程に苦しみ結果が出ず、自身もスイス代表と契約をしたため途中で解任されました。
2014年W杯終了後、ヒッツフェルト監督の後任として2年後の欧州選手権に臨みます。イングランドに連敗したものの、2位で本大会出場権を獲得します。本大会では数的優位もあってアルバニアに勝利し、ルーマニアとホスト国フランス相手に引き分けて2位でグループリーグを突破します。決勝トーナメントのポーランド戦では、シャキリがスーパーボレーで同点に持ち込んでPK戦に臨みますが、2人目のキッカーであるG・ジャカがミスして敗退しました。
2018年W杯予選はアウェーのポルトガル戦以外9勝、北アイルランドとのプレーオフも1勝1分で乗り切りました。本大会はブラジルとの初戦でドロー、セルビア戦では早々に先制されるもののシャキリの逆転ゴールで制し、コスタリカには守護神ゾマーの活躍でドローとなり2位でグループリーグを通過しました。スウェーデンとの決勝トーナメント初戦はシュート18本、CK11本、支配率といずれも相手を上回りますが、完封負けを喫しました。

※:サラエボ(ボスニア・H)
2017年8月16日:新規アップ 2018年8月25日更新

12/13ラツィオ(国内カップ優勝)
  クローゼ  
ルリッチ カンドレーヴァ
エルナネス A・ゴンサレス
  C・レデスマ  
ラドゥ コンコ
A・ジアス ビアーヴァ
  マルケッティ  

16スイス代表(欧州選手権ベスト16)
  セフェロヴィッチ  
  ジェマイリ  
メーメディ シャキリ
G・ジャカ ベーラミ
ロドリゲス リヒトシュタイナー
ジュルー シェア
  ゾマー  

18スイス代表(W杯ベスト16)
 セフェロヴィッチ 
 ジェマイリ 
ツバーシャキリ
G・ジャカベーラミ
ロドリゲスリヒトシュタイナー
アカンジシェア
 ゾマー