アンジェロ・ペルッツィ(Angelo PERUZZI)
フルネーム アンジェロ・ペルッツィ
国籍 イタリア  
出身地 ヴィテルボ
生年月日 1970・2・16
身長 181cm
体重 88kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1995・3・25
エストニア戦
代表背番号 12
W杯メンバー 06年
ニックネーム イノシシ
個人タイトル 97,98,07イタリア年間最優秀GK(AIC)
チームタイトル 90/91,94/95,03/04コッパ・イタリア
92UEFAU−21欧州選手権
92/93UEFAカップ
94/95,96/97,97/98セリエA
95/96UEFAチャンピオンズ・リーグ
96FIFAインターコンティネンタル・カップ
06FIFAワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
86/87 ローマ
87/88 ローマ
88/89 ローマ 12
89/90 ヴェローナ 29
90/91 ローマ
91/92 ユヴェントス
92/93 ユヴェントス 29
93/94 ユヴェントス 32
94/95 ユヴェントス 26
95/96 ユヴェントス 1 30
96/97 ユヴェントス 1 29
97/98 ユヴェントス 1 31
98/99 ユヴェントス 1 25
99/00 インテル 1 33
00/01 ラツィオ 70 29
01/02 ラツィオ 70 27
02/03 ラツィオ 70 30
03/04 ラツィオ 1 27
04/05 ラツィオ 1 21
05/06 ラツィオ 1 30
06/07 ラツィオ 1 28
低身長を感じさせない反応と位置取り、安定したセーブを見せるイタリア屈指のGK。温厚な人柄とは裏腹に圧倒的なパワーを持ちますが、筋肉系のケガが多いのが欠点です。

ローマでキャリアを始め、1987年12月13日ミラン戦にて弱冠17歳でセリエAにデビューします。89/90シーズンにヴェローナへレンタルされ経験を積みました。その後復帰しますが薬物使用で1年間の出場停止処分を受け、ローマでは満足にプレーできませんでした。
91/92シーズンにユヴェントスへ移籍。タッコーニの控えを経て正GKに定着してUEFA杯を制すると、94/95シーズンにはクラブ9年ぶりのスクデットを獲得します。95/96シーズンのチャンピオンズ・リーグでは決勝でアヤックスと対戦し、PK戦で相手1人目のダーヴィッツ、4人目シローイのキックを止めて11年ぶり2度目の優勝に貢献しました。
その後もフェラーラ、ユリアーノ、ウルグアイ代表モンテーロと世界最高レベルのCBと共にゴールに鍵をかけてスクデット2連覇を達成するなど、クラブの黄金時代を築きました。
99/00シーズン、オランダ代表ファン・デル・サールの加入によりインテルへ移ります。同時に加入したパヌッチ、フランス代表ブランとの守備で前年より失点を18点減らしたものの、ロナウドなど攻撃陣にケガが相次ぎ、チャンピオンズ・リーグ出場圏内にとどまりました。
00/01シーズンにラツィオへ。チャンピオンズ・リーグでは1年目に2次リーグで最下位になりました。2年目は予備選でコペンハーゲンを破りますが、ハリルホジッチ監督のナントに連敗するなど1次リーグ最下位に終わりました。国内はクラブの財政難でクレスポ、ネドヴェド、ベロン、ネスタが去ってスクデット争いとは無縁でしたが、4年目に3度目の国内カップを獲りました。
引退すると母国の若年層やサンプドリアでアシスタントを務めています。

U−21欧州選手権は1990年大会こそ正GKとして4試合に出ますが、優勝した2年後の同大会とバルセロナ五輪では出場機会がありませんでした。
1995年3月25日エストニア戦でフル代表デビューします。1996年欧州選手権は3試合に出ますがグループリーグで敗退しました。
その後はケガやパリュウカの復調、トルド、ブッフォンの台頭により代表から遠ざかりました。また、2002年W杯もトラパットーニ監督の招集を自ら拒否しました。
しかしクラブでの衰えないパフォーマンスにより、2004年4月28日スペイン戦で5年ぶりに代表復帰します。そして直後の欧州選手権メンバーにも入りました。
2006年W杯予選もユヴェントス時代のリッピ監督の下で3試合出場。若手が伸び悩む中、本大会メンバーとして正GKブッフォンを支え、世界を制しました。
代表記録 31試合

2018年10月18日:新規アップ