パウリーニョ(PAULINHO)
フルネーム ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール
国籍 ブラジル  
出身地 サンパウロ
生年月日 1988・7・25
身長 182cm
体重 71kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2011・9・14
アルゼンチン戦
代表背番号 8 18
W杯メンバー 14年
ニックネーム  
個人タイトル 11,12ブラジル全国選手権ベストイレブン(CBF)
11,12ブラジル全国選手権ベストイレブン(プラカール誌)
チームタイトル   11ブラジル全国選手権
12コパ・リベルタドーレス
12FIFAクラブワールドカップ
13サンパウロ州選手権
13レコパ・スダメリカーナ
13FIFAコンフェデレーションズ・カップ
15,16中国リーグ
15AFCチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06 ジュヴェントゥージ(3部)    
06 ヴィルニウス(リトアニア) 7 17
07 ヴィルニウス(リトアニア) 7 21
07/08 ウッチ(ポーランド) 27 17
08 アウダックス(7部)    
09 ブラガンティーノ(2部) 28
10 ブラガンティーノ(2部) 17
10 コリンチャンス 15 27
11 コリンチャンス 8 35
12 コリンチャンス 8 23
13 コリンチャンス 8
13/14 トッテナム(イングランド) 8 30
14/15 トッテナム(イングランド) 8 15
15 広州恒大(中国) 8 13
16 広州恒大(中国) 8 30
17 広州恒大(中国) 8 20
18 バルセロナ(スペイン)    
戦況を見極めたオフ・ザ・ボールでの気の利いた動き、バイタルエリアへ走り込んでのフィニッシュなど、ボックス・トゥ・ボックスの典型を示すブラジル代表です。

3部ジュヴェントゥージからキャリアが始まります。リトアニアではまずまずの働きを見せるものの、クラブが財政難で2部に降格することが決まったため2年で退団しました。
ポーランドを経て母国に戻ります。7部相当でのプレーを経て2部ブラガンティーノに加入。イエロー7枚、レッド1枚とジャッジに苦しみますが、6得点を挙げました。
その後のサンパウロ州選手権ではコリンチャンス戦など7得点をマークしました。コリンチャンスではロナウドやR・カルロスから多くを学び、サントス戦など4得点を見せました。
2年目からは、ポルトガル代表リエヂソンやペルー代表ゲレーロといったFWと共に攻撃陣の軸となり、全国選手権では35試合8得点で優勝して国内有数のMFになります。リベルタドーレスでも14試合に出場、準々決勝2ndレグでは同国ヴァスコから終了間際に決勝点を挙げ、優勝の原動力となりました。クラブW杯でも決勝でチェルシーを下して多くの栄光に浴しました。
2013年コンフェデ杯での卓越した働きにより、トッテナムに引き抜かれます。8月18日C・パレス戦でプレミアデビュー。カーディフ戦のバックヒールやハル戦の同点弾などレギュラーに定着しますが、2年目はW杯でのショックを払しょくできず控えに降格しました。
15シーズンに広州恒大へ移り、7月11日長春亜泰戦で中国リーグにデビュー。同胞のグラールやジャクソン・Mと共にチーム力を高めます。ACLでは柏戦で得点を挙げるなど6試合に出て優勝しました。その後のCW杯では広島から先制点を挙げますが、逆転負けしました。3年目もリーグで7得点、ACLでも鹿島戦など8試合で5得点と結果を残しました。
17/18シーズンにバルサへ移籍しています。

ブラジル代表デビューは2011年9月14日のアルゼンチン戦です。1年後に同国から代表初得点、10月には日本からも得点を決めました。
2013年コンフェデ杯でもグスタヴォと共にセンターを担い、日本との初戦とウルグアイとの準決勝で得点を決めるなど主力として優勝に大きく貢献しました。翌年のW杯も6試合に出場しますが、ドイツに大敗を喫して地元開催の大会を最悪な形で終えました。
2018年W杯予選はアルゼンチン戦で得点を挙げて勝利すると、ウルグアイ戦でハットトリック、パラグアイ戦で2アシストと素晴らしい働きを見せています。
代表記録

2017年5月10日:新規アップ 2017年8月13日更新