カルロス・パレデス(Carlos PAREDES)
フルネーム カルロス・ウンベルト・パレデス・モンヘス
国籍 パラグアイ  
出身地 アスンシオン
生年月日 1976・7・16
身長 180cm
体重 77kg
利き足
ポジション MF
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1998・3・29
コロンビア戦
代表背番号 13 17
W杯メンバー 02年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 97〜99,11パラグアイリーグ
00/01,06/07ポルトガルカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96 オリンピア
97 オリンピア 25
98 オリンピア 19
99 オリンピア 22
00 オリンピア 11
00/01 ポルト(ポルトガル) 5 29
01/02 ポルト(ポルトガル) 5 28
02/03 レッジーナ(イタリア) 5 33
03/04 レッジーナ(イタリア) 5 18
04/05 レッジーナ(イタリア) 5 29
05/06 レッジーナ(イタリア) 5 28
06/07 スポルティング(ポルトガル) 76
08 オリンピア 13 30
09 オリンピア 13
09 ルビオ・ニュ 13 16
10 スポルティーボ・ルゲーニョ 32 30
11 オリンピア 13 16
12 オリンピア 13 20
13 オリンピア 13 19
14 オリンピア 13 21
豊富な運動量からの強烈なタックルや空中での競り合いで主導権を握ると、攻撃でも力強い左足シュートとで相手陣内を脅かすなど攻守に充実したパラグアイ代表のキーマンです。

オリンピアでキャリアを始めたパレデスは、3度のリーグ優勝や20歳とクラブ史上最年少でのキャプテン就任と多くの足跡を残し、00/01シーズンにヨーロッパに渡ります。
ポルトではデコやユーゴスラヴィア代表ドゥルロヴィッチ、ロシア代表アレニチェフといった面々の中盤で1年目から多くの出場機会を獲得し、カップ戦を制しました。2年目はチャンピオンズ・リーグで9試合プレーしますが、2次リーグでR・マドリーとパナシナイコスに敗れました。
W杯終了後にレッジーナに移籍し、同時に入った中村俊と共にレギュラーに定着。マッツァーリ監督が就任した04/05シーズン以降は攻撃力も増し、4年連続セリエA残留を見届けて退団。スポルティングではチャンピオンズ・リーグこそバイエルンやインテル戦など全6試合に出ますが、国内リーグではナニやモウティーニョの台頭もあり出場機会に恵まれませんでした。
08シーズンにオリンピアに復帰し、ルビオ・ニュやスポルティーボを挟み6年過ごします。その中で1年目は2度の2試合連続弾など5得点をマークしました。また、再びキャプテンを任され、13シーズンにはリベルタドーレスで6試合に出場して準優勝しました。

1998年3月29日コロンビア戦で代表デビューします。直後のW杯本戦でも若手ながら4試合と主力としてチームのベスト16入りに貢献しました。翌年のコパ・アメリカでは日本戦など3試合に出場しますが、地元開催の大会を優勝で飾れませんでした。
2002年W杯予選では16試合でカルドーソに次ぐ5得点をマーク、特にブラジル戦やチリ戦での決勝点と要所で輝きを放ちました。2試合プレーした本大会はスロヴェニア戦で退場しました。2004年コパ・アメリカでは4試合に出場、準々決勝で敗退しました。
2006年W杯予選では13試合でチリ戦の決勝点など3得点を挙げました。本戦でも3試合に出場しますが、イングランドとスウェーデンの前にグループリーグで敗退しました。
代表記録 73試合10得点

2018年3月17日:新規アップ