ミリンコ・パンティッチ(Milinko PANTIC) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ミリンコ・パンティッチ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | セルビア | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ロズニチャ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1966・11・5 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 72kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1996・4・24 フェロー諸島戦 |
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代表背番号 | 17 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 96/97UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王(5得点) | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 85/86,86/87ユーゴスラヴィアリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
88/89ユーゴスラヴィアカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
95/96リーガ・エスパニョーラ | |||||||||||||||||||||||||||||
95/96コパ・デル・レイ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
85/86 パルチザン | 9 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
86/87 パルチザン | 15 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 パルチザン | 10 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 パルチザン | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 パルチザン | 22 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 パルチザン | 9 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 オリンピア | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 パニオニオス(ギリシャ) | 32 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 パニオニオス(ギリシャ) | 30 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 パニオニオス(ギリシャ) | 26 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 パニオニオス(ギリシャ) | 32 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 | 41 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 | 36 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 アトレティコ・マドリー(スペイン) 10 | 29 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ル・アーヴル(フランス) 10 | 19 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 パニオニオス(ギリシャ) | 23 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
正確なキックで攻撃を組み立てるゲームメーカーとしてだけでなく、フィニッシャーやPKキッカーとしても名高い元ユーゴスラヴィア代表MFです。 パルチザンでキャリアを始めます。ザホヴィッチやミヤトヴィッチと強力な面々で2度のリーグ優勝を経験しますが、自らは結果を残せませんでした。しかしギリシャでは4シーズンで3度の2ケタ得点と、点取り屋として素晴らしい時間を過ごしました。 この活躍でA・マドリーに引き抜かれます。パルチザンで師事したアンティッチ監督の存在もあり瞬く間に中盤に定着。キコ、カミネロ、ブルガリア代表ペネフと共にスペクタクルな試合を展開、マドリード・ダービーでのPKなど10得点で19年ぶりのリーグ制覇に貢献し、カップと合わせて国内2冠を達成。2年目は新加入のFWエスナイデルにボールを送りました。チャンピオンズ・リーグでは準々決勝アヤックス戦など5得点で得点王になりました。 フランスを経て、パニオニオスに戻って引退。その後はA・マドリーに戻り、ユースシステムで若手の育成に携わっています。 1996年4月24日フェロー諸島戦で代表デビュー。キャップは1998年W杯予選のこの試合含めてわずか2試合にとどまっています。 代表記録 2試合 2018年12月21日:新規アップ |