ゴラン・パンデフ(Goran PANDEV)
フルネーム ゴラン・パンデフ
国籍 マケドニア
出身地 ストルミツァ
生年月日 1983・7・27
身長 184cm
体重 74kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2001・6・6
トルコ戦
代表背番号 10 19
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 04,06〜08,10マケドニア年間最優秀選手
チームタイトル 08/09〜11/12,13/14コッパ・イタリア
09/10セリエA
09/10UEFAチャンピオンズ・リーグ
10FIFAクラブワールドカップ
14/15トルコリーグ
14/15トルコカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 ベラシツァ 18
01/02 インテル(イタリア)
02/03 スペツィア(イタリア3部) 22
03/04 アンコーナ(イタリア) 19 20
04/05 ラツィオ(イタリア) 19 24
05/06 ラツィオ(イタリア) 19 35 11
06/07 ラツィオ(イタリア) 19 36 11
07/08 ラツィオ(イタリア) 19 32 14
08/09 ラツィオ(イタリア) 19 31
09/10 ラツィオ(イタリア) 19
09/10 インテル(イタリア) 27 19
10/11 インテル(イタリア) 27 27
11/12 ナポリ(イタリア) 29 30
12/13 ナポリ(イタリア) 19 33
13/14 ナポリ(イタリア) 19 28
14/15 ガラタサライ(トルコ) 19
15/16 ジェノア(イタリア) 9 15
16/17 ジェノア(イタリア) 9 20
17/18 ジェノア(イタリア) 9 32
18/19 ジェノア(イタリア) 9    
威力、精度共に抜群の左足シュートを武器とするマケドニア代表のエースFW。スピードあふれるドリブルと意外性あるラストパスも備えており、WGとしても輝きを放ちます。

マケドニア東部ストルミツァ出身。地元ベラシツァのユースでサッカーを始め、00/01シーズンにトップに昇格して18試合で6ゴールと結果を残し、18歳でインテル移籍を果たします。
しかし豊富な選手層の前に出番はなく、アンコーナ在籍時の2003年11月2日シエナ戦でセリエAデビューを果たし、翌節ボローニャ戦で初ゴールを挙げました。
04/05シーズンにセルビア代表スタンコヴィッチとのトレードでラツィオへ移籍します。アウェーのユヴェントス戦ではカンナヴァーロ、テュラム、ザンブロッタ、ブッフォンといった強力守備陣を手玉に取り、フィオとのアウェー戦でもゴール、UEFA杯でもゴールを挙げるなど実力の片りんを見せます。そして2年目から3年連続で2ケタゴールを記録。特に07/08シーズンはキャリア最多の14ゴールを挙げると、チャンピオンズ・リーグでも5試合に出場してR・マドリーから3ゴールを奪うなど、最終節までグループリーグ突破の可能性を残す原動力となりました。
翌08/09シーズンは国内カップで6ゴールを挙げてタイトルを獲得。リーグでも1月11日レッジーナ戦ではハットトリックを決めるなどロッキと共にチームをけん引しました。リヴァプール、チェルシー、バイエルンといったビッグクラブからオファーが届きますが、チームに残りました。
契約が満了する2010年を前に去就をめぐりクラブ側と衝突し、09/10シーズン序盤は飼い殺しの状況が続きましたが、途中でインテルへ復帰。ミラノダービーでゴールを挙げ即座に結果を残しました。チャンピオンズ・リーグでも6試合戦い3冠を達成、これにより出場したクラブW杯でも決勝マゼンベ戦で先制点を奪い、64/65シーズン以来の世界一に貢献しました。
2年目は、昨季の決勝と同じカードとなったバイエルンとのチャンピオンズ・リーグの決勝トーナメント2ndレグでエトーの先制点をアシストし、終了間際に決勝ゴールを挙げています。
11/12シーズンにナポリへレンタルされ、カバーニ、ラベッシ、ハムシクの負担を軽減します。リーグではユヴェントス戦で2ゴールを挙げ、カップ戦ではチェゼーナ相手に決勝点を挙げてタイトルを獲得するなど要所で働き完全移籍となります。2年目も古巣インテルやローマ相手に2アシストし、ミランとのアウェー戦で同点ゴールを決めるなど2位になりました。3年目も2度の1試合2ゴールとユヴェントス戦でのメルテンスへのアシストなど、イグアインやカジェホンといった面々と質の高いレギュラー争いを展開してチーム内の競争力を高めました。
14/15シーズンにジェマイリと共にガラタサライへレンタルされます。リーグ戦こそブラク・Yやウムト・Bの前に出番が少なかったものの、カップ戦ではバルチョヴァ戦でのハットトリックなど10試合で7ゴールを挙げてクラブ2冠に貢献しました。
翌シーズンにジェノアへ完全移籍します。3年目は6ゴールのラパドゥーラに次ぐ5ゴールを挙げ、チームのA残留に貢献しました。

翌年のW杯予選となる2001年6月6日トルコ戦でフル代表デビュー。2006年W杯予選は11試合で4ゴール、2010年W杯予選でも8試合で2ゴールを挙げました。
2009年8月12日スペイン戦では2ゴールを挙げてゲオルギ・フリストフが保持していた代表最多記録16ゴールに並び、10月カタールとの試合で2ゴールを挙げて記録を更新しました。
2012年欧州選手権予選は5試合でノーゴールに終わり、ロシア戦ではレッドを受けて自ら出場のチャンスをつぶしました。2014年W杯予選は8試合で不発に終わり、2018年W杯予選も10試合でイスラエル相手の1ゴールにとどまりました。
代表記録

余談
・インテルに92/93シーズンから1年半在籍したパンチェフに次ぎ、マケドニア人としてセリエAでプレーするのは自身が2人目です(参考:同国が旧ユーゴから独立したのは1991年)。
2011年4月9日:新規アップ 2018年6月15日更新

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