ウィルソン・パラシオス(Wilson PALACIOS)
フルネーム ウィルソン・ロベルト・パラシオス・スアソ
国籍 ホンジュラス
出身地 ラ・セイバ
生年月日 1984・7・29
身長 178cm
体重 71kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・4・2
パラグアイ戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 02/03,05/06ホンジュラス前期リーグ
03/04〜05/06ホンジュラス後期リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 オリンピア    
03/04 オリンピア    
04/05 オリンピア    
05/06 オリンピア    
06/07 オリンピア    
07/08 バーミンガム(イングランド) 28
07/08 ウィガン(イングランド) 5 16
08/09 ウィガン(イングランド) 5 21
08/09 トッテナム(イングランド) 12 11
09/10 トッテナム(イングランド) 12 33
10/11 トッテナム(イングランド) 12 21
11/12 ストーク(イングランド) 40 18
12/13 ストーク(イングランド) 40
13/14 ストーク(イングランド) 40 16
14/15 ストーク(イングランド) 40
16 マイアミ(アメリカ2部) 8 18
17/18 オリンピア 8
18/19 オリンピア 8    
19/20 オリンピア 8    
上背はなくとも強靭なフィジカルでのハードワークで相手の攻撃を封じ、ミドルや前線への攻撃参加など、攻守にオールマイティな活躍を見せるホンジュラス代表MFです。

兄弟と共にサッカーを始めます。デポルティボ・ビクトリアというクラブでトレーニングを積み、2002年にオリンピアでプロキャリアをスタートさせます。ここで102試合32得点と好成績を残し幾度となくクラブを頂点に導きました。その後セルビアのレッドスター、イタリアのカリアリ、フランスのモナコとヨーロッパに売り込みに行きますが、ことごとく失敗に終わりました。
アーセナルの入団テストも不合格となりますが、ヴェンゲル監督の推薦でバーミンガム移籍が決まり、2007年9月22日リヴァプール戦にてプレミアにデビューします。冬のマーケットでウィガンに移籍して再びブルース監督の下で戦い、プレミア残留に貢献しました。
08/09シーズンは開幕からスタメンに名を連ねます。実弟の誘拐事件という厳しい現実をものともせず、元フランス代表カポやエクアドル代表バレンシアなどと共に中盤を構成、質の高いプレーに多くのビッグクラブから獲得を打診されましたが、トッテナムに入団します。ノースロンドンダービーではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、スパーズのサポーターから信頼を得ました。
2年目の第2節ハル戦ではプレミア初得点を挙げ、攻撃的な選手がそろう中盤でバランサーに徹して自己最多の33試合に出場、ビッグ4の牙城を崩してチャンピオンズ・リーグ出場権を手にします。そして翌年の同大会ではプレーオフでヤングボーイズを下すと、6試合戦ってグループリーグを突破します。しかし国内リーグでは21試合の出場に終わりました。
11/12シーズンに、パーカーの加入に伴いクラウチやウッドゲイトと共にストークへ移ります。リーグでは定位置を掴めませんでしたが、ヨーロッパリーグでは8試合戦い決勝トーナメントに進みました。2年目はフランス代表エヌゾンジの加入などで出番が減少しました。
16シーズンにアメリカへ移籍するも1年で退団し、オリンピアに戻っています。

2003年4月2日パラグアイ戦で代表デビュー。2006年W杯予選は4試合出場も敗退します。しかし2010年W杯予選では16試合2得点で7大会ぶり2回目の出場権獲得に貢献し、本大会も3試合フル出場しました。2014年W杯予選も11試合、本戦も2試合に出場しました。
ゴールド杯は3大会に出場し、2007年大会のパナマ戦でレッドを受けています。
代表記録

余談
・2010年W杯では、兄ジェリー、弟ジョニーと共に登録メンバーに入りました。
2009年11月22日:新規アップ 2019年6月22日更新