尾崎 加壽夫(Kazuo OZAKI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 尾崎 加壽夫(オザキ カズオ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 東京都 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1960・3・7 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 176cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 74kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1981・2・8 マレーシア戦 |
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代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 82日本年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
82日本サッカーリーグアシスト王(8アシスト) | |||||||||||||||||||||||||||||
82日本サッカーリーグベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 78,82日本サッカーリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
78,81JSLカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
80天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
78 三菱自動車(JSL1部) | |||||||||||||||||||||||||||||
79 三菱自動車(JSL1部) | |||||||||||||||||||||||||||||
80 三菱自動車(JSL1部) | |||||||||||||||||||||||||||||
81 三菱自動車(JSL1部) | |||||||||||||||||||||||||||||
82 三菱自動車(JSL1部) | |||||||||||||||||||||||||||||
83 三菱自動車(JSL1部) | |||||||||||||||||||||||||||||
83/84 アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ) | 33 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
84/85 アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ) | 23 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
85/86 アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ) | 28 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
86/87 アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ) | 13 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ) | 16 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 ザンクト・パウリ(ドイツ) | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 デュッセルドルフ(ドイツ) | |||||||||||||||||||||||||||||
90/91 三菱自動車(JSL1部) | 6 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 三菱自動車(JSL1部) | 9 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
92 浦和レッズ | |||||||||||||||||||||||||||||
93 ヴェルディ川崎 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
どんな逆境にも負けない強いメンタリティーを持ったストライカー。MFとしてもプレーできます。左右どちらの足からでもシュートを撃てるテクニックに加え、スピードも兼備しています。 神奈川県の日大高を卒業後、1978年に三菱重工(現浦和)に入団。原と2トップを組みます。82シーズンはチーム最多の8ゴールを挙げ、アシスト王になりリーグ優勝に貢献しました。 そして1983年8月、ドイツのビーレフェルトに移籍。奥寺康彦に続き、日本人二人目のプロ選手としてデビューを果たします。13日、FWリトバルスキーらが所属するケルン戦のスタメンに名を連ねると、前半23分に右足を振りぬいて同点ゴールを挙げ、周囲に鮮烈な印象を与えました。11月5日には奥寺の所属するブレーメンと対戦し、初の日本人対決が実現します。その後もコンスタントに働き、シーズンで5ゴールを挙げてリーグ8位の立役者となりました。 2シーズン目は鈴木良平がコーチに就任したものの、選手とのコミュニケーションがうまくとれず出場機会が激減します。それでも4ゴールを挙げましたが、チームは2部降格となりました。 そして3年間ドイツでプレーした後三菱に復帰し、原や福田などと攻撃陣を組みます。Jリーグ開幕時はV川崎で2試合出場し、現役を引退しました。 JSL 78試合20得点 ブンデスリーガ 62試合9得点 1979年に東京で開催されたWユースでは3試合戦い、水沼や風間らを擁するチームのキャプテンとなります。日本にとってユース代表の国際大会初出場とあって注目を浴びました。 そして1981年2月8日、川淵三郎監督によりマレーシア戦にてフル代表デビューを果たし、9月のムルデカ大会で初ゴールを含む2試合連続ゴールを挙げました。 1982年6月のジャパン杯(現キリン杯)フェイエノールト戦で4ゴールを挙げ、その後西ドイツ遠征にも参加してビーレフェルトとも対戦、ケッペル監督から練習参加の要請を受けました。 1983年のジャパン杯を控えていましたが帯同せず、リーグ終了後ドイツに渡ります。ロス五輪予選を控えエースとしての活躍が期待されていたので、この移籍は波紋を呼びました。 代表記録 17試合3得点 2007年8月15日:新規アップ 2012年2月25日更新 |