オスカル(OSCAR)
フルネーム
国籍 ブラジル
出身地 サンパウロ
生年月日 1991・9・9
身長 179cm
体重 66kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2011・9・14
アルゼンチン戦
代表背番号 11
W杯メンバー 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 08ブラジル全国選手権
11,12リオグランデ・ド・スール州選手権
11レコパ・スダメリカーナ
11南米ユース選手権
11FIFAU−20ワールドカップ
12ロンドンオリンピック銀メダル
12/13UEFAヨーロッパリーグ
13FIFAコンフェデレーションズ・カップ
14/15プレミアリーグ
18中国リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
08 サンパウロ 36
09 サンパウロ 30 11
10 サンパウロ 30
10 インテルナシオナウ 18
11 インテルナシオナウ 16 26 10
12 インテルナシオナウ 16
12/13 チェルシー(イングランド) 11 34
13/14 チェルシー(イングランド) 11 33
14/15 チェルシー(イングランド) 8 28
15/16 チェルシー(イングランド) 8 27
16/17 チェルシー(イングランド) 8
17 上海上港(中国) 8 22
18 上海上港(中国) 8 29 12
19 上海上港(中国) 8    
軽量級ながら優れたボディバランスで簡単に倒れず、俊敏性と両足を使える技術も持ちます。幅広い位置でのドリブルとキープ、的確なパスでポゼッションを支えます。

U・バルバレンセやサンパウロでユースレベルを過ごし、2008年にトップに昇格。当時はエルナネスらの前にプレーできず、2年目以降もワシントンやR・オリヴェイラといったベテランの前に控えが多く、金銭面の問題もあってインテルナシオナウへ移ります。
1年目はケガに泣きクラブW杯でも1試合の出場に終わり、アルゼンチン代表ダレッサンドロを活かせませんでした。しかし2011年のリベルタドーレスでは6試合3得点2アシスト、国内リーグでも10得点5アシストと、L・ダミアンと共に得点源になりました。翌年もリベルタドーレスで6試合1得点2アシスト、サンパウロ州選手権で3得点7アシストの成績を残しました。
五輪出場中にチェルシーへの移籍が決まり、2012年8月19日ウィガンとの開幕戦でプレミアにデビューします。8点を取ったアストン・ヴィラ戦では1得点2アシストを決め、リヴァプールやトッテナム相手の先制点、マンチェスター・Uとのアウェー戦でのアシストと、同時入団のアザールや既存のマタとの連係を確立させます。チャンピオンズ・リーグではユヴェントスとシャフタールから2点ずつ挙げますが、両者の前にグループリーグ3位になりました。その後のヨーロッパリーグでは、決勝ベンフィカ戦で先発するなど9試合戦ってクラブの初優勝に貢献しました。
2年目はマタやウィリアンと2列目の加入で途中交代も多かったものの、ハルとの開幕戦で先制点を挙げると、本拠アーセナル戦は2得点を決めて6−0と大勝しました。
3年目はドログバの復帰に伴い、退団したランパードの8番に変更します。アウェーのC・パレス戦やホームのニューカッスル戦では一人で試合を決め、ホームのマンチェスター・U戦でもアザールの決勝点を演出するなど、5シーズンぶりの優勝に貢献しました。
5年目はコンテ新監督の構想外となり巨額で中国へ移り、3月4日長春亜泰戦で1部デビュー。広州富力戦では乱闘騒ぎを起こしますが、自らは事なきを得ました。
18シーズンは開幕戦からハットトリックに2アシストと爆発し、その後3試合連続アシストします。また、江蘇蘇寧戦からの4連発など12得点を挙げます。また、ウー・レイ、同胞のフッキやエウケソン(2019年に中国に鞍替え)らへ22アシストと攻撃的MFとして役割を果たします。ACLでも2試合連続で2得点し、鹿島とのR162ndレグでも先制点を演出しました。

2011年南米ユース選手権では9試合戦い、エクアドル戦で決勝点を演出するなど、ネイマールと共に優勝に貢献。U−20W杯でもコウティーニョと攻撃陣を組み、ポルトガルとの決勝ではハットトリックを見せてチームを優勝に導きました(U−20W杯決勝でのハットトリックは大会史上初であり、フル代表の大会を含めても1966年大会のハースト以来二人目です)。
フル代表デビューは9月11日のアルゼンチン戦となり、翌年の同国との親善試合で初得点をマークしますが、メッシのハットトリックなどで敗れました。
フル代表と兼務のメネーゼス監督により翌年の五輪にも参加、ガンソを控えに追いやり10番を背負います。ネイマールやL・ダミアンと攻撃の軸として6試合出ますが、決定的な仕事はベラルーシ相手のダメ押し点のみに終わり、金メダルはなりませんでした。
5試合に出た2013年コンフェデ杯は得点こそありませんでしたが、日本戦やスペインとの決勝と要所でアシストして優勝に貢献しました。W杯はクロアチア戦でネイマールの同点弾を呼び込み、自らもトゥーキックを決めました。カメルーン戦はフェルナンジーニョをアシストしましたが、その後はドイツに大敗した試合で一矢報いただけでした。
代表記録

※:オスカル・ドス・サントス・エンボアバ・ジュニオール
2012年10月16日:新規アップ 2019年10月12日更新