大迫 勇也(Yuya OSAKO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 大迫 勇也(オオサコ ユウヤ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1990・5・18 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 182cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 73kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2013・7・21 中国戦 |
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代表背番号 | 15 18 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 14年 18年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 13Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 09Jリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
10天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
09 鹿島アントラーズ 34 | 22 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
10 鹿島アントラーズ 9 | 27 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
11 鹿島アントラーズ 9 | 25 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
12 鹿島アントラーズ 9 | 32 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
13 鹿島アントラーズ 9 | 33 | 19 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 1860ミュンヘン(ドイツ2部) 18 | 15 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 1.FCケルン(ドイツ) 13 | 28 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 1.FCケルン(ドイツ) 13 | 25 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 1.FCケルン(ドイツ) 13 | 30 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 1.FCケルン(ドイツ) 13 | 25 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 ブレーメン(ドイツ) 8 | 21 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
19/20 ブレーメン(ドイツ) 8 | |||||||||||||||||||||||||||||
相手を背にしながらの正確なパスによる安定したポストプレーで周囲の能力を引き出し、自らも鋭いターンからの突破やヘッドなど多彩な形でゴールを目指すCFの典型です。 しかし自らの戦術眼の高さ、フィジカルの強さに加え在籍する海外クラブの選手層の薄さにより、本職ではないポジションでプレーするケースが多くなっています。 3歳上の兄を追い幼少時から練習し、小学3年で地元万世SSSに入ります。その後上級生の不在を理由に鹿児島育英館中に新設されるサッカー部の一期生として入部します。 提携する鹿児島城西高の小久保監督に鍛えられ、上級生との対戦が多い中で結果を残し、トップ下からCFにコンバートされて長くプレーするための下地を作りました。 そして中学を卒業する前に高校の試合に同行、大学生との試合で終了15分前で途中出場すると、1ゴール1アシストして勝利に貢献し、周囲を驚かせました。 高校に入ってすぐにスーパーサブで結果を残します。2年は2007年U−17W杯メンバーから落選するなどスランプに陥りますが、監督の指導で周囲を生かすことを学びました。 3年ではインターハイ県予選で鹿児島実業相手に5ゴールして優勝、プリンスリーグも続き、高校選手権予選でも5試合11ゴールで母校を8年ぶりの本大会に導きました。本大会でも初戦から4連発し、準決勝と決勝でも1ゴールと国見の平山による9ゴールを更新、史上最多の10ゴールに10アシストと滝川二の主将が舌を巻く高い個人能力を披露しました。大会は決勝で広島皆実に敗れて準優勝に終わり、メダルを下げずに悔しさを噛みしめました。 卒業すると鹿島に入団し、2009年3月15日新潟戦でJ1デビュー。その後FC東京相手の決勝ゴールなど3ゴールでリーグ優勝を経験。ACLも3ゴールと即戦力となります。 2年目は天皇杯を制し、4年目はG大阪と広島戦、柏戦と3度の2ゴールなど合計9ゴール、ナビスコ杯でも7ゴールと、田代や興梠との充実した前線を築きました。 後者が退団した5年目は開幕から2連発、新潟戦からの4連発、FC東京戦からの4連発など19ゴールを挙げました。また、広島との最終節で初のレッドを受けました。 13/14シーズンに1860に移り、2月10日デュッセルドルフとの2部デビュー戦でゴールを挙げます。その後2度の1ゴール1アシストと片りんを見せてケルンに移ります。 カップ戦でアシストを見せ、8月23日ハンブルク戦でブンデスリーガにデビューすると、続くシュツットガルト戦でゴールを挙げて勝利しました。 その後はフランス人FWモデストの能力を生かすべく不慣れなポジションにも対応するなど、チームのために献身的に働きます。その中でも3年目はカップ戦で2ゴールを挙げると、リーグ戦でもH・ベルリン戦のロングシュートなど7ゴール6アシストで5位となりました。 この結果を受けてヨーロッパリーグに出場、バテ戦の2ゴール1アシストもグループリーグで敗退。リーグもモデストの退団や過密日程による疲弊で最下位に終わりました。 18/19シーズンにブレーメンへ移籍します。敗れはしますがバイエルンからゴールを奪うなど、主将のクルゼやベテランのピサーロらと前線を担っています。 2012年トゥーロンは3試合で結果が出ず、五輪出場はなりませんでした。フル代表デビューは翌年7月21日東アジア杯中国戦で、オーストラリア戦で2ゴールを挙げました。 この結果によって前田からポジションを奪い、オランダ戦で1ゴール1アシストもあり2014年W杯メンバーに入りますが、2試合でノーゴールに終わりました。 2018年W杯予選では5試合出場してアウェーのイラク戦でヘッド、本大会も4試合に出場してコロンビア戦で勝ち越しヘッドを決めて日本3度目の16強に貢献しました。 森保監督のチームでも、中島、南野、堂安といった2列目の持ち味を引き出すための起点として、替えが利かない存在となります。2019年アジア杯ではトルクメニスタンとの初戦で2ゴールを挙げてチームを勢いづけます。負傷でその後3試合を回避しますが、イランとの準決勝で2ゴール、敗れたカタール戦でも南野の一矢を演出するなど出色の働きを見せました。 代表記録 ※:鹿児島県南さつま市(旧加世田市) 2019年1月9日:新規アップ 2019年6月7日更新 |