小村 徳男(Norio OMURA)
フルネーム 小村 徳男(オムラ ノリオ)
国籍 日本  
出身地 島根県松江市
生年月日 1969・9・6
身長 181cm
体重 79kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1995・5・21
スコットランド戦
代表背番号 5 17
W杯メンバー 98年
ニックネーム ノリ
個人タイトル  
チームタイトル 95,00ファーストステージ
95Jリーグ
01ナビスコカップ
09Jリーグ功労選手賞
所属クラブおよび背番号 出場 得点
92 横浜マリノス    
93 横浜マリノス 29
94 横浜マリノス 33
95 横浜マリノス 43
96 横浜マリノス 24
97 横浜マリノス 5
98 横浜マリノス 5 32
99 横浜F・マリノス 5 27
00 横浜F・マリノス 5 30
01 横浜F・マリノス 5 21
02 ベガルタ仙台 4 28
03 ベガルタ仙台 4 20
04 サンフレッチェ広島 3 25
05 サンフレッチェ広島 3 33
06 サンフレッチェ広島 3
06 横浜FC(J2) 30 15
07 横浜FC 30 18
08 ガイナーレ鳥取(JFL) 30 17
カバーリングに難があり、ボディサイズも特筆すべきものはありませんが、ハードマークで相手FWに仕事をさせず、空中戦やポジショニングセンスなどゴール前での競り合いにも強いストッパー。セットプレーからのヘディングも、チームの貴重な得点源です。

島根県松江市に生まれ、小学3年よりサッカーを始めます。当時はFWとしてプレーしました。中学に入ると、それまで両立させていた野球をやめてサッカーに専念しました。
中学卒業後、実兄も通う地元の松江南高に進学します。監督のアドバイスによりDFに転向し、3年時にはインターハイに出場。卒業後は一般受験で順大へ進みました。
強豪だったため部員の数が非常に多く、レギュラーとして活躍したのは3年時になってからでしたが、春季大会や総理大臣杯などを制したことで注目され、ユース代表に招集されたのです。
大学卒業後、横浜M(現横浜FM)に入団。1992年ナビスコ杯V川崎(現東京V)戦でプロデビュー、木村のCKをヘディングで決め、守っても井原を欠きながら強力攻撃陣を誇るV川崎を1点に抑えましたが、7位で予選を終え、上位4チームによる決勝には進出できませんでした。
1993年5月29日市原(現千葉)戦でJリーグデビューします。かつてチームにいた柱谷哲が宿敵V川崎に移籍したためレギュラーとなり、井原とCBコンビを組みます。翌年6月11日横浜F戦でJリーグ初ゴールを記録し、95シーズンに1stステージを制すると、2ndステージ覇者V川崎とのチャンピオンシップも制し、年間優勝を果たします。96シーズンには11月9日広島戦でハットトリックを達成。DFとしてはJリーグ初の快挙となります。この試合ではオウンゴールも献上したため、この試合の全ゴールを記録するという珍事になりました。
以降は松田や波戸の台頭で出場機会が減り、02シーズンに1部に初昇格した仙台へ。プロデビュー時の清水監督の下で再スタートを切り、チーム3位タイの4ゴールを記録しましたが、翌シーズンに降格。それに伴い広島へ移籍します。仙台でもコンビを組んだリカルドやGK下田と共に堅守を築き、年間7位の成績を挙げます。しかしその後は加入した戸田和や中盤からコンバートされた森崎和の存在で出場機会が減り、J2の横浜FCへ移籍します。
シーズン途中の加入だったもののレギュラーとなり、豊富な経験で若い守備陣をリード、リーグ最少失点を達成。キャプテンの城、カズ、山口、高木監督と日本代表で僚友だった面々と共にクラブ史上初のJ1昇格を達成します。しかしJ1の洗礼を受ける形でチームは低迷し、自身も18試合の出場に終わり戦力外通告を受け、JFL鳥取でのプレーをもって引退しています。
J1リーグ:381試合29得点 J2リーグ:15試合1得点 JFL;17試合0得点

Wユースには出場しなかったものの、大学での成長によりMF名波と共に横山監督によりバルセロナ五輪予選に招集されます。しかし本大会出場はなりませんでした。
1995年5月21日スコットランド戦でスタメン出場しフル代表デビュー。秋田や斉藤俊、中西永らと井原のパートナー争いを展開し、1996年アジア杯では4試合に出場、1998年W杯予選では7試合2得点で日本の初出場に貢献、本戦でも最終戦のジャマイカ戦で出場しました。
代表記録 30試合4得点

余談
・ポルトガル語に堪能なので、新加入のブラジル人選手をチームになじませます。また、フィジカルの強さが買われ、味方GKが退場になった後代理を務めることがあります。
2008年4月17日:新規アップ 2012年2月25日更新