ルイス・オリヴェイラ(Luis OLIVEIRA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ルイス・アイルトン・オリヴェイラ・バローゾ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ベルギー | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1969・3・24 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 176cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 72kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(RWG) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1992・2・26 チュニジア戦 |
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代表背番号 | 8 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ルル ホーク | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 87/88,88/89ベルギーカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
90/91ベルギーリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 アンデルレヒト | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 アンデルレヒト | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 アンデルレヒト | 26 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 アンデルレヒト | 33 | 18 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 アンデルレヒト | 31 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 カリアリ(イタリア) | 29 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 カリアリ(イタリア) | 29 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 カリアリ(イタリア) | 30 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 カリアリ(イタリア) 10 | 33 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 フィオレンティーナ(イタリア) 11 | 31 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 フィオレンティーナ(イタリア) 25 | 33 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 フィオレンティーナ(イタリア) 25 | 30 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 フィオレンティーナ(イタリア) 25 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 カリアリ(イタリア) 30 | 24 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ボローニャ(イタリア) 25 | 17 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 コモ(イタリア2部) | 38 | 23 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 カターニャ(イタリア2部) 25 | 36 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 カターニャ(イタリア2部) 10 | 38 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 フォッジャ(イタリア3部) | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ヴェネツィア(イタリア2部) 35 | 17 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ルッケーゼ(イタリア3部) | 19 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ヌオレーゼ(イタリア4部) | 32 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ヌオレーゼ(イタリア4部) | 31 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 トルトーナ(イタリア5部) | 35 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 ムラレヴァ(イタリア6部) | 12 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
独創的で時に強引な突破で右サイドから相手ゴールに向かうブラジル出身のベルギー代表。自らも高い決定力を有しますが、周囲へのサポート能力も特筆すべきものがあります。 ブラジルのサン・ルイスに生まれ、5人兄弟の3番目として生まれます。選手だった父親の影響を受け、兄弟と共にサッカーを始めます。15歳でアンデルレヒトの下部組織に入り、出場したスペイン、フランス、ドイツで行われた大会で優秀選手に選出されました。 1988年3月に1部リーグデビューを果たします。ニリスやオーストラリア代表クルンチェヴィッチ、ファン・デル・リンデン、デ・グリースと前線の層が非常に厚い中、4年目に18ゴールを挙げてチームのリーグ制覇に大きく貢献しました。5年目は新加入のオランダ代表ボスマンへアシストすると同時に、自らも2年連続2ケタゴールを達成しました。 アイドルのシーフォに遅れること1年、92/93シーズンの9月6日ユヴェントス戦でデビューします。ウルグアイ代表フランチェスコリとのホットラインで前年に13位だったチームを6位に引き上げます。2年目はUEFA杯に出場しますが、準決勝でインテルに敗れました。国内リーグでは過密日程で順位が下がりますが、個人的にはパナマ代表J・C・D・バルデスとの2トップで3度目の2ケタゴールをマーク。4年目には15ゴールとプロビンチャで存在感を示しました。 この活躍によりフィオレンティーナに引き抜かれます。バティ、ルイ・コスタ、エヂムンドとの攻撃陣を形成、2年目に15ゴールを挙げ、3年目はチャンピオンズ・リーグ出場権を獲りました。 その後カリアリに戻ってエムボマとコンビを組みますが、17位で2部降格となりました。続くボローニャでもシニョーリやクルスの前にベンチを温めました。 コモではB最多の23ゴールを挙げてA昇格に貢献しますが、クラブに残れませんでした。カターニャでは実績と経験により1年目から主将を託され、2年連続2ケタゴールを挙げますが、昇格に絡めませんでした。ヴェネツィアでは5ゴールと巻き返しますが、降格となりました。 09/10シーズンから監督兼任となり、引退すると監督としてマルタで指導しています。 1992年2月26日、チュニジアとの親善試合でベルギー代表にデビューし、ゴールを決めます。1994W杯予選は10試合でゴールは無く、監督との確執により代表から外されました。続く1996年欧州選手権予選も10試合に出ましたが、ノーゴールに終わりました。 10試合に出た1998年W杯予選ではニリスと2トップを組み、トルコ戦とのホーム戦で決勝点、アウェー戦でハットトリック、アイルランドとのプレーオフ2ndレグでゴールを挙げました。 一転、本大会ではグループリーグ3試合で不発に終わりました。 代表記録 31試合7得点 ※:サン・ルイス(ブラジル) 2017年10月25日:新規アップ |