デイヴィッド・オレアリー(David O'LEARY)
フルネーム デイヴィッド・アンソニー・オレアリー
国籍 アイルランド  
出身地
生年月日 1958・5・2
身長 186cm
体重 85kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1976・9・8
イングランド戦
代表背番号 12
W杯メンバー 90年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 78/79,92/93FAカップ
82/83,92/93イングランドリーグ・カップ
88/89,90/91イングランド・フットボールリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
75/76 アーセナル(イングランド) 27
76/77 アーセナル(イングランド) 33
77/78 アーセナル(イングランド) 41
78/79 アーセナル(イングランド) 37
79/80 アーセナル(イングランド) 34
80/81 アーセナル(イングランド) 24
81/82 アーセナル(イングランド) 40
82/83 アーセナル(イングランド) 36
83/84 アーセナル(イングランド) 36
84/85 アーセナル(イングランド) 36
85/86 アーセナル(イングランド) 35
86/87 アーセナル(イングランド) 39
87/88 アーセナル(イングランド) 23
88/89 アーセナル(イングランド) 26
89/90 アーセナル(イングランド) 34
90/91 アーセナル(イングランド) 21
91/92 アーセナル(イングランド) 25
92/93 アーセナル(イングランド) 11
93/94 リーズ(イングランド) 10
94/95 リーズ(イングランド)
アイルランドとアーセナルの最終ラインを長きに渡り支えたCB。恵まれた体躯ですが、エレガントさやポジショニングの良さが際立っており、典型的な英国のDFとは一線を画しています。

ロンドンに生まれますが、幼少期にアイルランド首都ダブリンに移ります。15歳の誕生日にアーセナルと契約を交わし、1975年8月16日バーンリー戦でリーグデビューを果たします。
そして瞬く間にレギュラーに定着し、4年目にマンチェスター・Uを破りFA杯を制します。翌年にはカップウィナーズ杯で決勝に進みましたが、バレンシアにPK戦で敗れました。80/81シーズンこそケガで離脱し24試合の出場に終わりますが、翌シーズンにリーグ杯を制します。
北アイルランド代表ジェニングス、ライス、スコットランド代表W・ヤング、イングランド代表サンソムといった面々と守備を固め、アダムスの加入でさらにそれは強固なものとなります。88/89シーズンには18年ぶりのリーグ制覇に貢献し、翌シーズンの11月にはDFジョージ・アームストロングの持つ621試合の最多出場記録を塗り替えます。さらに翌シーズンもリーグを制しましたが、加齢の影響もあり出場機会は減りました。それでも国内リーグ558試合出場、国内カップや欧州のカップ戦を含めた722試合出場はクラブ最多記録です。2位アダムスが669試合であり、移籍が活発になった現代においては事実上不滅の記録であるといえます。
93/94シーズンにリーズへフリーで移籍、リーグ5位とまずまずの結果を残しますが、アキレス腱を負傷したため翌シーズン途中に37歳で引退しました。
その後クラブにとどまり、グレアム監督のアシスタントに就任します。彼が2年後にトッテナムへ去った後は監督に昇格し、98/99シーズンにはリーグ4位になってUEFA杯出場権を獲得。翌シーズンの同大会ではベスト4に進出し、リーグも3位でチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得します。さらに00/01シーズンにはチャンピオンズ・リーグでベスト4に進出してリーグも4位になるなど、キューウェル、スミス、R・ファーディナンドら「ヤング・リーズ」を躍進させます。しかしウッドゲイトやボウヤーが警察沙汰になり、チームの成績も悪化したため辞任しました。
その後アストン・ヴィラではFWアンヘル、MFバリー、ヒツルスペルガーがそろうスカッドをまとめ、16位に沈んだチームを6位に引き上げました。2年目はラウルセンやC・コールと攻守に補強するもアンヘルら主力のケガにより10位、3年目もバロシュ、ベルガー、ミルナー、フィリップスと実績ある選手を一挙に手にしますが、16位と期待外れに終わって解任されました。
その後中東アル・アハリに就任したものの、1年で終わっています。

1976年9月8日イングランド戦で代表デビュー。2年後のW杯予選で3試合、1982年大会予選4試合、1986年大会予選で7試合に出場しますが、いずれも敗退します。
1990年W杯予選は4試合戦い、出場権を獲得します。しかしピークを過ぎていたため本大会は1試合の出場に終わりました。その後1994年大会予選も1試合プレーしています。
代表記録 68試合1得点
※ロンドン(イングランド)
2011年12月31日:新規アップ

00/01リーズ(CLベスト4)
スミス ヴィドゥカ
キューウェル ボウヤー
ダクール バッケ
ハート ケリー
ウッドゲイト ファーディナンド
  ロビンソン  

03/04アストン・ヴィラ
アンヘル ヴァッセル
バリー ヘンドリー
キンセラ ヒツルスペルガー
サミュエル デ・ラ・クルス
ヨンセン メルベリ
  セーレンセン