大木 武(Takeshi OKI)
フルネーム 大木 武(オオキ タケシ)
国籍 日本  
出身地 静岡県静岡市
生年月日 1961・7・16
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1991〜92 東京農業大コーチ
1993〜01 清水エスパルス(サテライト・ヘッドコーチなど)
2002〜02 2005〜07 ヴァンフォーレ甲府
2003〜03 清水エスパルス
2004〜04 川崎フロンターレ(ユース)
2007〜10 日本代表コーチ
2011〜   京都サンガ
獲得タイトル  
現役時代はMFでした。1984年に富士通(現川崎F)に入り、日本リーグで7シーズンプレーして30歳で現役を退いています。

スペクタクル志向が強く、流動性のあるサッカーを好む監督です。選手一人一人に運動量や献身的な動きを求め、前線から激しくプレスを仕掛けて速攻、あるいは頻繁に行うポジションチェンジやパスアンドゴーなど相手を翻弄する攻撃をします。守備はゾーンディフェンスです。
甲府では4バックを浸透させ、Jでは稀少な4−3−3、あるいは4−4−2を主に使用します。

現役引退後、富士通に勤めながら母校の東農大でコーチを務めます。1993年に退社し、清水のユース監督兼ジュニアユースコーチとなりました。その後サテライトコーチや監督などを経験し、99シーズンはペリマン監督が一時帰国した際に監督代行を務めました。
02シーズンに豊富な経験を買われJ2の甲府に就任。つなぐ意識を徹底させ、SBによるオーバーラップの回数を増やすなど、チームに攻撃意識を植え付けます。そして3年連続最下位と低迷しクラブ存続の危機にあったチームを7位に引き上げ、浮上のきっかけを作ったのです。
その後清水に復帰しトップチームの監督を務めます。トゥットや北嶋といったFWを獲得しますが攻撃力アップにはつながらず、1stステージは11位と低迷して解任されました。
その後古巣川崎Fユース監督を務め、05シーズンに甲府に復帰します。7月に4−4−2から4−3−3にフォーメーションを変更し、大宮から獲得したバレーを生かすのはもちろん、倉貫ら2列目の攻撃参加を促すなど多彩な攻撃パターンを作りました。最終節で京都に勝利し3位で終え、入れ替え戦で柏と対戦。エースのバレーがダブルハットトリックを達成するなど2試合7ゴールと大爆発を見せ、クラブ史上初のJ1昇格を果たしました。
06シーズン、J2で失点がワースト3位タイだった守備面の改善を図り、ボランチと最終ラインでプレーできる元日本代表MF林を獲得します。攻撃面では本来MFの茂原をWGにコンバートするなどの対策を施し、15位でJ1残留を果たしました。
07シーズンはDF増嶋をレンタルで獲得し更なる守備面の向上を狙いましたが、エースのバレーやキャプテン倉貫の退団が大きく響いて低迷します。そして2シーズン前に初昇格を決めた日立台での柏戦で降格が決まり、成績不振の責任を取って辞任しました。
12月に日本代表コーチに就任し、主に戦術面で2期目の岡田監督をバックアップします。本大会出場を決めたウズベキスタン戦で岡田監督が退席処分を受けたため、続くカタール戦で指揮を執りました。その後強化試合での惨敗が続いてチームに逆風が吹きましたが、2010年W杯では望外ともいえるベスト16という成績を残しました。
11シーズンよりJ2京都に就任して4年ぶりにクラブを指揮します。リーグは7位に終わりますが、天皇杯では若手の活躍もあり決勝に進出。史上初のJ2同士となった決勝では日本代表で同時期にコーチだった大熊監督率いるFC東京に敗れ、初タイトルはなりませんでした。
2007年12月21日:新規アップ 2012年7月6日更新

05ヴァンフォーレ甲府(クラブ史上初のJ1昇格)
  バレー  
長谷川太郎 石原克哉
藤田健 倉貫一毅
  奈須伸也  
井上雄幾 杉山新
津田琢磨 池端陽介
  阿部謙作  

09日本代表(6月10日カタール戦)
玉田圭司 岡崎慎司
中村憲剛中村俊輔
橋本英郎阿部勇樹
今野泰幸内田篤人
闘莉王中澤佑二
 楢崎正剛