岡崎 慎司(Shinji OKAZAKI)
フルネーム 岡崎 慎司(オカザキ シンジ)
国籍 日本 岡崎
出身地 兵庫県宝塚市
生年月日 1986・4・16
身長 174cm
体重 76kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2008・10・9
UAE戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
18年
ニックネーム オカ
個人タイトル 09Jリーグベストイレブン
チームタイトル 11AFCアジアカップ
15/16プレミアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
05 清水エスパルス 23
06 清水エスパルス 23
07 清水エスパルス 23 21
08 清水エスパルス 23 27 10
09 清水エスパルス 23 34 14
10 清水エスパルス 23 31 13
10/11 シュツットガルト(ドイツ) 31 12
11/12 シュツットガルト(ドイツ) 31 26
12/13 シュツットガルト(ドイツ) 31 25
13/14 マインツ(ドイツ) 23 33 15
14/15 マインツ(ドイツ) 23 32 12
15/16 レスター(イングランド) 20 36
16/17 レスター(イングランド) 20 30
17/18 レスター(イングランド) 20 27
18/19 レスター(イングランド) 20 20
19/20 ウエスカ(スペイン2部) 12    
ニアへ身体ごと投げ出すヘディングが得意なFW。こぼれ球を拾ったり相手DFの背後を突いたりと動き回るスタイルにより1トップには不向きで、2列目での起用もあります。
豊富な運動量での献身的な守備、ロッカールームでのムードメーカー的役割と、本来の仕事である攻撃以外でも重宝されています。

宝塚市に生まれ、2歳年上の兄の影響を受けて小学2年でサッカーを始めます。宝塚ジュニアFCには中学を卒業するまで在籍し、部活と掛け持ちしました。
そして兄も在籍する滝川二高に進学、強豪の中でも1年から高校選手権出場を果たし、兄弟での2トップが実現。2年連続でベスト4になり、キャプテンとして臨んだ3年時には2回戦で本田圭率いる星陵と対戦。予選でケガをしたためベンチスタートとなり、2点差をつけられた後半にピッチに入って3分足らずで追撃のゴールを挙げたものの、及びませんでした。
高校卒業後に清水に入団し、2005年12月3日広島戦でJにデビューします。当初は評価が低く、2年目まではサテライトでのプレーがメインとなりましたが、3年目の4月15日川崎F戦でリーグでの初ゴール、アウェーの柏戦で2ゴールとまずまずの結果を残しました。
4年目は8月中に5ゴールの固め取りを見せるなど、ゴール数を2ケタに乗せます。5年目にはノルウェー代表ヨンセンと2トップを組み、ポストとなる彼の周囲で躍動、3試合連続を2度記録するなど14ゴールを挙げてリーグのベストイレブンになりました。天皇杯でも準々決勝から2試合連続ゴールを決める勝負強さも見せました。6年目は新加入の小野伸との連係も確立させ、1試合2ゴールを2度決めた他、大阪勢や名古屋といった上位陣相手にゴールを決めました。
10シーズン終了後、詳細をめぐり時間がかかったものの無事にシュツットガルトへ移籍。2011年2月20日レヴァークーゼン戦でブンデスリーガデビューを果たし、内田や長谷部といった代表の僚友とのマッチアップを見せます。そして5月7日ハノーファー戦、最終節バイエルン戦と2試合連続ゴールを決めてチームの残留に貢献しました。
11/12シーズンもシャルケとの開幕戦で途中出場からゴールを挙げ、2月には3試合連続ゴールを記録。ハルニクや途中で加入してきた酒井高といった周囲とのコンビネーションでチームを引っ張り、6位となってヨーロッパリーグ出場権を獲得します。翌シーズンはケガの影響もあり1ゴールに終わりましたが、コンフェデ杯で評価を高めてマインツへ移ります。
そして開幕シュトゥットガルト戦でいきなり恩返しを果たします。チェコ代表右SBポスペフなど援護に恵まれ、ドルトムント戦など計4度の1試合2ゴールをマークするなどPK無しの15ゴールをマーク。10/11シーズンにシュールレが挙げた1部のクラブ最多14ゴールと、香川がドルトムント時代に作った日本人の欧州1部最多13ゴールの記録を同時に塗り替えました。2年目もランキング5位タイの12ゴールを挙げてチームを1部残留に導きました。
15/16シーズンにレスターと4年契約を結び、8月8日サンダーランド戦でプレミアデビュー。確かなハードワークでラニエリ監督の信頼を得ると、ニューカッスル戦ではバイシクルで決勝ゴールを挙げて歴史的な偉業を達成しました。2年目はリーグ杯でチェルシーから2ゴール、リーグでマンチェスター・Cから左足ボレーと強豪相手にインパクトを残しました。
3年目はアーセナルやリヴァプールにゴール、サウサンプトン戦は2ゴール1アシストで勝利に貢献(相手の吉田もゴール)。しかし4月に足首を痛めてシーズンが終わりました。4年目も新加入マディソンの前にチャンスがなく、契約が満了になりました。
19/20シーズンにマラガへ移籍します。しかしリーグが規定するサラリーキャップの上限を超えていたため選手登録されず契約が解除されました。その後ウエスカへ移籍し、9月8日S・ヒホン戦でスペイン2部にデビューしています。

2008年北京五輪では3試合に出場しましたが、ノーゴールに終わりました。フル代表デビューは10月9日UAE戦で、2010年W杯予選では7試合に出場、アウェーのウズベキスタン戦では自らのプレーを象徴するようなヘディングで、日本を4大会連続出場に導きました。
その後2度のハットトリックを達成するなど、2009年の代表戦では16試合で世界最多となる15ゴールを挙げましたが、本大会前に結果を残せず本田のCF起用により控えとなります。しかしデンマーク戦でゴールを挙げてベスト16に進出しました。
W杯後のアルゼンチン戦では長谷部のミドルがはじかれたところを押し込み、同国相手、そしてザッケローニ監督の初勝利に貢献しました。
2011年アジア杯では6試合に出場、松井の前に当初はサブでしたが、彼の離脱により先発に定着し、サウジアラビア戦ではカズと並ぶ代表3度目のハットトリックを達成。鋭い動き出しで相手の脅威となり2大会ぶりの戴冠に欠かせない存在となりました。
2014年W杯予選はオマーンとのアウェー戦で終了間際に決勝点を挙げるなど、14試合で8ゴールを挙げます。終了後のコンフェデ杯はブラジル、イタリア、メキシコと相手が悪く、過密日程もあって3連敗を喫しましたが、自身は2試合連続ゴールと役割を果たしました。W杯はコロンビア戦で得意のヘディングを決めて追い付きますが、その後3失点と大差で敗れました。
2015年アジア杯は、パレスチナとの初戦でチーム2ゴール目を挙げるなど4試合に出場しましたが、準々決勝UAE戦で負傷、チームも敗れました。
2018年W杯予選は14試合で5ゴールを挙げます。クラブでの負傷で試合勘が懸念されるも本戦直前に就任した西野監督に呼ばれ、大迫の控えとして3試合に出ました。
翌年のコパ・アメリカで復帰し、3試合に出て若いチームをけん引しました。
代表記録

2011年9月6日:新規アップ 2019年9月12日更新