大岩 剛(Go OIWA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 大岩 剛(オオイワ ゴウ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 静岡県静岡市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1972・6・23 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 75kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2000・2・5 メキシコ戦 |
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代表背番号 | 2 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ゴウさん | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 01Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 95,99,07,10天皇杯 | ||||||||||||||||||||||||||||
01,02ファーストステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
02セカンドステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
02,07,08,09Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
95 名古屋グランパス | 38 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96 名古屋グランパス | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97 名古屋グランパス 3 | 32 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
98 名古屋グランパス 3 | 32 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99 名古屋グランパス 3 | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
00 名古屋グランパス 5 | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00 ジュビロ磐田 3 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01 ジュビロ磐田 3 | 28 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
02 ジュビロ磐田 3 | 20 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 鹿島アントラーズ 4 | 29 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
04 鹿島アントラーズ 4 | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05 鹿島アントラーズ 4 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 鹿島アントラーズ 4 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
07 鹿島アントラーズ 4 | 20 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08 鹿島アントラーズ 4 | 18 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 鹿島アントラーズ 4 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 鹿島アントラーズ 4 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
鋭い読みでのカバーとライン統率に加え、マンマークやヘッドと肉弾戦も強く、フィードの巧さも備えるJリーグ屈指のCB。スピード不足が唯一の難点であるといえます。 サッカーの盛んな清水に生まれ育ち、攻撃的MFとしてプレーしていました。中学時代に東海選抜チームに入るとSBにコンバートされ、その後強豪清水商に入学します。 2学年上に藤田がおり、さらに名波、山田隆、薩川と歴代最強とも呼べる布陣の中で両SBに加え、CBでも起用されます。高校選手権は1年時に全国を制しましたが、3年時は3回戦で大宮東にPK戦で敗れました。卒業後に藤田の後を追うように筑波大へ進みました。 95シーズンに名古屋へ入団し、3月18日G大阪戦でプロデビュー。当初は左SBとして起用されていましたが、その後プレシーズンマッチで1月に就任したヴェンゲル監督によりCBへコンバートされ、同じ新加入のブラジル人CBトーレスから多大な影響を受けて成長を遂げます。 その中で定位置を確保して天皇杯を制し、自身初タイトル獲得に成功しました。96シーズンは自身と同じく筑波大に進学した望月重が加入。高卒でプロ入りした一学年下の平野と共に元清水商の3人が出そろい、クラブ史上最高位の2位でリーグを終えました。 00シーズン、薫陶を受けたトーレスの背番号5を受け継ぎ守備陣の中心となりますが、低迷のスケープゴートにされ、7月に望月、平野と共に戦力外通告を受けました。クラブによると、その理由はJ・カルロス監督の指示に従わず、チームの秩序を乱したというものでした。 所属先が決まるまで自主トレに取り組み、夏が終わるころに磐田へ加入。田中誠、鈴木秀と共に3バックを組んで攻撃的なチームを支え、02シーズンは両ステージを制覇しました。 03シーズンにはT・セレーゾ監督のオファーを受けてライバル鹿島へ移籍。秋田、相馬、名良橋といった代表クラスと4バックを形成してタイトルから離れたチームを支え、翌シーズンに加入した岩政の成長を促しました。08シーズンに伊野波の加入もあり完全に控えになりましたが、リーグを3連覇し、現役最終年には自身4度目の天皇杯優勝と有終の美を飾っています。 ユース代表を経験した後、2000年2月5日のカールスバーグ杯メキシコ戦でフル代表デビュー。その後のハッサン2世杯フランス戦などの2試合もスタメン出場しています。 代表記録 3試合 2012年11月7日:新規アップ |