小川 佳純(Yoshizumi OGAWA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 小川 佳純(オガワ ヨシズミ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 東京都 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1984・8・25 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 173cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 67kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 08Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
08Jリーグ新人王 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 10Jリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
07 名古屋グランパス 29 | 11 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
08 名古屋グランパス 29 | 33 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
09 名古屋グランパス 10 | 33 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
10 名古屋グランパス 10 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
11 名古屋グランパス 10 | 34 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
12 名古屋グランパス 10 | 31 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
13 名古屋グランパス 10 | 33 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
14 名古屋グランパス 10 | 25 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15 名古屋グランパス 10 | 32 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
16 名古屋グランパス 10 | 20 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
17 サガン鳥栖 20 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17 アルビレックス新潟 40 | 10 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
18 アルビレックス新潟 40 | 21 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
19 アルビレックス新潟 40 | |||||||||||||||||||||||||||||
積極果敢な仕掛けと正確なラストパスで攻撃を組み立て、ミドルシュートなど得点への意識も高いオフェンシブハーフです。 幼稚園の年中の時にサッカーを始め、小学3年時に三菱養和に移りました。6年の時に東京Vジュニアユースのセレクションを受けましたが通らず、そのまま三菱養和ジュニアユースに進みました。ここでは3年の時にクラブジュニアユース選手権でベスト8進出を経験しました。 その後、強豪市立船橋に入学します。勉強と両立させていたうえポジション争いも熾烈だったため、3年時にようやくレギュラーに抜擢されます。国体を制すると高校選手権にも出場し、DF増嶋、FWカレン・ロバートらと共に決勝に進むと、FW平山、MF兵藤、中村北擁する国見と対戦、60分に放ったミドルが決勝点となり、母校を3年ぶり4度目の日本一に導きました。 その後明大へ進み、1年から出場機会を獲得します。2年時には2部リーグではあったものの7アシストでアシスト王とベストイレブンに選出され、チームを1部昇格に導きます。その後も関東選抜や大学リーグのベストイレブンなど輝きを放ち、DF長友と共に明大をけん引しました。 名古屋や鳥栖での練習参加を経て前者に入団、2007年8月25日大宮戦でJリーグにデビューすると、9月29日柏戦で初得点、ナビスコ杯でも1得点マークしました。 2年目にはストイコヴィッチ監督に認められ出場機会を得ると、11得点11アシストとその攻撃センスを発揮、リーグ3位の躍進に多大な役割を果たし新人王とベストイレブンに輝きました。 3年目にはストイコヴィッチ監督や藤田が背負った背番号10を託されます。しかし過密日程と厳しいマークに遭い不本意な数字に終わりましたが、それでもリーグ10アシスト、ACLでは日本人最多となる5得点を挙げるなど面目を保ちました。 10シーズンの天皇杯では準々決勝で敗退しますが、一矢報います。リーグではフィールドプレーヤーで唯一全試合出場を果たし、クラブの初制覇に貢献しました。これにより出場権を獲得したACLでは7試合に出場しますが無得点に終わります。しかしリーグでは2年連続で全試合出場を果たし、アウェー横浜FM戦など3点を挙げて2位と好調をキープしました。 13シーズンは清水や柏相手の1試合2得点など9得点と、ケネディや玉田と共にネットを揺らしますが、11位と平凡な成績に終わりました。その後は徐々に得点数が減少、16シーズンはクラブ初のJ2降格となり、契約満了で退団しました。 その後鳥栖へ、さらにシーズン途中で新潟へレンタル移籍しています。 代表記録 2010年4月16日:新規アップ 2018年12月20日更新 |