小笠原 満男(Mitsuo OGASAWARA)
フルネーム 小笠原 満男(オガサワラ ミツオ)
国籍 日本 小笠原
出身地 岩手県盛岡市
生年月日 1979・4・5
身長 173cm
体重 72kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2002・3・21
ウクライナ戦
代表背番号 8 19
W杯メンバー 02年 06年
ニックネーム ミツオ
個人タイトル 01〜05,09Jリーグベストイレブン
00,01Jリーグチャンピオンシップ最優秀選手
00天皇杯最優秀選手
02ナビスコカップ最優秀選手
09Jリーグ年間最優秀選手
チームタイトル 98セカンドステージ
98,01,08,16天皇杯
00,01,16ファーストステージ
00,01,07〜09,16Jリーグ
00,02,11,12,15ナビスコカップ
01,16天皇杯
04AFCアジアカップ
18AFCチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98 鹿島アントラーズ 27
99 鹿島アントラーズ 27 15
00 鹿島アントラーズ 17 28
01 鹿島アントラーズ 8 24
02 鹿島アントラーズ 8 27
03 鹿島アントラーズ 8 27
04 鹿島アントラーズ 8 28
05 鹿島アントラーズ 8 30 11
06 鹿島アントラーズ 8 20
06/07 メッシーナ(イタリア) 16
07 鹿島アントラーズ 40 14
08 鹿島アントラーズ 40 24
09 鹿島アントラーズ 40 32
10 鹿島アントラーズ 40 33
11 鹿島アントラーズ 40 31
12 鹿島アントラーズ 40 31
13 鹿島アントラーズ 40 33
14 鹿島アントラーズ 40 33
15 鹿島アントラーズ 40 29
16 鹿島アントラーズ 40 30
17 鹿島アントラーズ 40 17
18 鹿島アントラーズ 40 14
ボディバランスとテクニックを兼ね備えたボールキープに、パス、シュート、予測不能な弾道を描くFKすべてが一級品の司令塔。守備の局面でも献身的です。

岩手県盛岡市に生まれ、小学3年でサッカーを始めます。6年時に全国大会に出場しました。地元の中学を経て大船渡高校に入学すると、U−16日本ジュニアユース代表に選出されました。3年生の時には高校選手権でベスト16入りを果たしました。
1998年に鹿島へ入団し、4月15日G大阪戦にてビスマルクとの途中交代でJリーグにデビューします。2年目から出場機会が増え、5月5日磐田戦でJ初ゴールを記録。00シーズンからはビスマルクとダブル司令塔として攻撃の全権を任されます。シーズンでのゴールは少なかったものの、カップ戦と天皇杯ではFKなどでゴールを量産。クラブにリーグ、カップ、天皇杯の三冠をもたらし、01シーズンも年間優勝を達成して黄金時代を象徴する存在になりました。
同年代の小野伸二や稲本潤一、高原直泰などが海外移籍を実現させる中、自身は鹿島でのプレーに集中していましたが、2006年に柳沢敦が春まで在籍していたメッシーナに期限付き移籍します。9月20日にセリエAデビューし、10月21日エンポリ戦で初ゴールを挙げしました。しかし出場機会を得ることができず、翌年には鹿島にレンタルバックします。そして千葉戦で2ゴール、最終節でも1ゴールを挙げてチームの逆転優勝に貢献しました。
トップ下から中盤の底にポジションをとり、野沢や興梠といったアタッカーの背後をバックアップします。08シーズンは左ヒザじん帯を負傷してチームを離れましたが、2連覇に貢献。翌シーズンの開幕戦にて復帰すると、そのままチームを3連覇に導いてリーグMVPに輝きました。
16シーズンは1stステージを制し、3位で臨んだチャンピオンシップで浦和に逆転勝ちして7年ぶりにJを制しました。クラブW杯では決勝でR・マドリーに敗れますが、天皇杯では老獪な振る舞いで川崎Fを翻弄し、タイトルを獲りました。
18シーズンもACLで6試合に出て初優勝してクラブに20冠目をもたらし、そのうち17冠に携わった偉大なキャリアに終止符を打ちました。

98年にU−19代表に招集されると、アジアユース選手権に出場。その後も各年代の代表に名を連ねます。1999年のWユースでは高原、小野、稲本、遠藤、中田浩らを抱えるチームで7試合に出場、アメリカ戦で1ゴールを挙げて準優勝となりました。
2002年3月22日のウクライナ戦で、後半11分に森島と途中交代でフル代表デビュー。W杯にも選ばれますが、10分足らずの出場と不完全燃焼に終わりました。
ジーコ体制で出番を増やし、中田英や中村の不在時はトップ下に入り、2003年、2005年のコンフェデ杯で合計5試合に出場。2006年W杯予選では9試合プレーし、ホームの北朝鮮戦で開始4分でFKを決めて先制ゴールを記録。アウェーのバーレーン戦では中田英のパスが起点となり、中村のダイレクトパスを受け、相手DFをかわしてミドルシュートを決めて勝利に貢献します。本大会にも選ばれ、クロアチア戦とブラジル戦で先発しました。
その後岡田監督にも呼ばれましたが、定着には至りませんでした。
代表記録 56試合7得点

2006年5月27日:新規アップ 2018年12月28日更新