ギジェルモ・オチョア(Guillermo OCHOA)
フルネーム フランシスコ・ギジェルモ・オチョア・マガーニャ
国籍 メキシコ  
出身地 グアダラハラ
生年月日 1985・7・13
身長 183cm
体重 72kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2005・12・14
ハンガリー戦
代表背番号 1 13
W杯メンバー 10年 14年
18年
ニックネーム メモ
個人タイトル  
チームタイトル 04/05メキシコリーグ
06CONCACAFチャンピオンズ・カップ
09,11,15CONCACAFゴールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 アメリカ 12
04/05 アメリカ 25
05/06 アメリカ 28
06/07 アメリカ 32
07/08 アメリカ 24
08/09 アメリカ 32
09/10 アメリカ 26
10/11 アメリカ 32
11/12 アジャクシオ(フランス) 1 37
12/13 アジャクシオ(フランス) 1 38
13/14 アジャクシオ(フランス) 1 37
14/15 マラガ(スペイン) 13
15/16 マラガ(スペイン) 13 11
16/17 グラナダ(スペイン) 13 38
17/18 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 8 38
18/19 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 8 40
19/20 アメリカ    
並はずれた反射神経で神がかり的なセーブを連発します。ポジショニングやコーチングも適切ですが、キャッチは不安定です。ヘアバンドを巻いたカーリーヘアがシンボルです。

03/04シーズンにモンテレー戦にて18歳でプロデビュー。正GKリオスの負傷によりオランダ人のベーンハッカー監督の抜擢に応えました。その後アルゼンチン人のルジェリ監督が同胞サハを獲得しますが、その逆風の中でも正守護神に定着して国内リーグを制覇しました。
タイトルはこれだけでしたが、C・ロペス、ブランコ、クエバス、カバニャスと優れたストライカーと共にチームの攻守のかなめとなり、8シーズンで211試合に出場しました。
アーセナル、マンチェスター・C、フルハムなどへの移籍が取りざたされる中、11/12シーズンにアジャクシオと3年契約を結び、メキシコ人GKとして初めて欧州でプレーします。8月6日トゥールーズ戦のリーグアンデビュー戦で敗れ、ヴァランシエンヌ戦での勝利を挟んで15試合価値なしと苦しい状況が続きました。その後はレンヌとソショー相手に2連続完封を見せました。
2年目は開幕戦でイエローを受けるもニースを完封、PSGとはスコアレスドローと12完封しました。3年目は開幕戦を落とし、PSGとの2試合目で終了間際に同点にされます。これを皮切りに5試合勝てず、さらにモンペリエ戦から15試合勝ちなしとリーグ最下位で降格しました。
14/15シーズンにマラガへ移籍し、カメルーン代表カメニの控えになります。2年目の終盤にこのライバルの離脱によりチャンスを得て実力を発揮しました。
16/17シーズンにグラナダへ移りフル出場しますが、最下位で降格しました。その後ベルギーへ移り、2年連続でフル出場してリーグ2位になりました。
19/20シーズンに古巣へ戻っています。

2005年12月14日ハンガリー戦で代表デビューします。翌年のW杯は第3GKとなり、翌年のコパ・アメリカは3試合、2009年ゴールド杯では6試合に出場して優勝しました。
2010年W杯予選は7試合に出場しますが、本大会ではO・ペレスの前にベンチを温め、チームもグループリーグで終わりました。
2013年コンフェデ杯は日本戦に出場。2014年W杯予選は4試合だけでしたが、本大会では正GKになります。開催国ブラジル戦ではネイマールやT・シウヴァのヘッドを防いでスコアレスドローで終えました。R16ではオランダに6分間で2点を取られて逆転負けしました。
2015年ゴールド杯でも6試合戦って3連覇に貢献。翌年のコパ・アメリカCは2試合に出ますが、優勝するチリ戦で7失点しました。ドイツやポルトガルなどと対峙した2017年コンフェデ杯も4試合で9失点して4位に終わりました。
2018年W杯予選は、タラベラ、J・J・コロナと競争が激しい中8試合に出場。本戦は4試合に先発してドイツを完封しますが、ブラジルに敗れて再び16強に終わりました。
代表記録

2016年12月19日:新規アップ 2019年8月8日更新