ヤン・オブラク(Jan OBLAK)
フルネーム ヤン・オブラク
国籍 スロヴェニア  
出身地 シュコーフィア・ロカ
生年月日 1993・1・7
身長 186cm
体重 83kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2012・9・11
ノルウェー戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 13/14ポルトガルリーグ年間最優秀GK
15スロヴェニア年間最優秀選手
15/16〜18/19サモーラ賞
15/16リーガ・エスパニョーラ年間最優秀GK
15/16リーガ・エスパニョーラベストイレブン
チームタイトル 13/14ポルトガルリーグ
13/14ポルトガルカップ
13/14ポルトガルリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
08/09 オリンピア・リュブリャナ(2部) 
09/10 オリンピア・リュブリャナ 22 33
10/11 ベンフィカ(ポルトガル)
10/11 オリャネンセ(ポルトガル) 12
10/11 ベイラ・マール(ポルトガル) 16
11/12 ウニオン・レイリア(ポルトガル) 93 16
12/13 リオ・アヴェ(ポルトガル) 13 28
13/14 ベンフィカB(ポルトガル2部) 41
13/14 ベンフィカ(ポルトガル) 41 16
14/15 アトレティコ・マドリー(スペイン) 13 11
15/16 アトレティコ・マドリー(スペイン) 13 38
16/17 アトレティコ・マドリー(スペイン) 13 30
17/18 アトレティコ・マドリー(スペイン) 13 37
18/19 アトレティコ・マドリー(スペイン) 13 37
19/20 アトレティコ・マドリー(スペイン) 13    
上背はさほどではないながらも長いリーチで広い守備範囲を誇ります。また、相手にゴールマウスを小さく感じさせるほどPKストップも得意とするスロヴェニア代表GKです。

5歳で入ったロチャンを経て、10歳でオリンピアの下部組織に移ります。2009年7月26日ゴリツァ戦で1部リーグデビューを果たし、16歳にして正守護神の座に就きました。
10/11シーズンにベンフィカへ移籍します。その後オリャネンセやベイラ・マールにレンタル移籍しますが、いずれも出場機会ははありませんでした。
しかしU・レイリアでは、2012年1月15日ナシオナル戦でポルトガルリーグにデビューします。後半戦でレギュラーの座をつかみますが、最終節ナシオナル戦ではレッドを受けました。12/13シーズンにはリオ・アヴェにレンタル移籍して28試合とコンスタントに出場しました。しかし国内カップのポルト戦では一発レッドを受けて4失点の敗因となりました。
13/14シーズンの開幕前、キャンプへの合流に難色を示したため処分を受けますが、正守護神アルトゥールがミスを連発するとポジションを獲得、ポルトやスポルティングを完封するなど、CBのルイゾンやガライらとの盤石な守備でリーグ杯含めた国内3冠を達成しました。 ヨーロッパリーグでも4試合に出場して決勝に進みますが、セビージャにPK負けを喫しました。
14/15シーズンにリーガのGK最高額でA・マドリーと6年契約を結びます。モジャがケガで離脱している間にポジションを獲得し、3月21日ヘタフェ戦でデビューします。
チャンピオンズ・リーグでも4試合に出場、レヴァークーゼン戦では3本のPKを止めましたが、準々決勝のマドリード・ダービーでチチャリートに決勝点を奪われました。
2年目から正守護神になり、国内リーグでは18失点に抑えサモーラなど個人賞を獲得しました。チャンピオンズ・リーグでは13試合に出場、バイエルンとの準決勝2ndレグでミュラーのキックを止めましたが、R・マドリーとの決勝はPK戦で敗れ雪辱はなりませんでした。翌年もこのライバルと準決勝で当たりますが、1stレグの3失点が響いて敗退しました。
4年目は37試合で3年連続のサモーラに輝いてリーグ2位になりました。チャンピオンズ・リーグとヨーロッパリーグでも3試合ずつ無失点で勝利を収めました。5年目もサモーラを獲り、37試合で20試合のクリーンシートと世界最高レベルのプレーを披露しました。

2010年のU−21欧州選手権予選は3試合出場。3年後の同大会予選も9試合に出場。2012年9月11日ノルウェー戦でフル代表にデビューします。
2016年欧州選手権予選は1試合に終わりましたが、ハンダノヴィッチが引退したため正守護神に定着。2018年W杯予選は10試合で3敗して敗退しました。
代表記録

2017年1月18日:新規アップ 2019年7月20日更新