西川 周作(Syusaku NISHIKAWA)
フルネーム 西川 周作(ニシカワ シュウサク)
国籍 日本 西川
出身地 大分県宇佐市
生年月日 1986・6・18
身長 183cm
体重 79kg
利き足
ポジション GK
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 2009・10・8
香港戦
代表背番号 12 21
W杯メンバー 14年
ニックネーム シュウ
個人タイトル 12〜16Jリーグベストイレブン
14Jリーグフェアプレー個人賞
チームタイトル 08ナビスコ,16ルヴァンカップ
11AFCアジアカップ
12,13Jリーグ
15ファーストステージ
16セカンドステージ
17AFCチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04 大分トリニータ 21
05 大分トリニータ 21 21
06 大分トリニータ 1 30
07 大分トリニータ 1 11
08 大分トリニータ 1 22
09 大分トリニータ 1 34
10 サンフレッチェ広島 21 34
11 サンフレッチェ広島 1 34
12 サンフレッチェ広島 1 34
13 サンフレッチェ広島 1 33
14 浦和レッズ 21 34
15 浦和レッズ 1 34
16 浦和レッズ 1 34
17 浦和レッズ 1 34
18 浦和レッズ 1    
抜群の反射神経でピンチを防ぎ、左足から鋭い弾道の高精度パントキックを前線に供給して攻撃の起点となるGK。状況により日本初のGKによるプレースキッカーとしても期待されます。

大分県宇佐市生まれ。四日市南小3年の時に友達同士で地元のサッカークラブに入りました。本来は右利きでしたが、練習を重ねた結果高度な左足キックを身に付けたのです。
当初はフィールドプレーヤーでしたが、小学生離れした体型を誇り、もちろんチームで一番身体が大きく運動神経も抜群だったため、監督に勧められ4年からGKにコンバートされます。中学でもフィードキックの練習を重ね、スピード、精度、パワーをさらに高めました。
高校入学と同時に、大分のユースチームに進みます。2年で臨んだクラブユース選手権の福岡戦では直接FKでゴールを挙げました。3年になりトップチームの練習に参加しました。
高校卒業後、2005年からトップチームでプレー。7月2日横浜FM戦でJデビューすると、直接FKを狙って観客を沸かせました。その後皇甫官監督からシャムスカ監督に替わりますが、レギュラーGKとして活躍。オールスター出場も果たしました。
06シーズンから背番号1を着けて30試合に出場。リーグ終盤戦に左ヒザじん帯を損傷して残りの試合を棒に振りましたが、その後驚異的な回復力を見せます。08シーズンは自身初タイトルのナビスコ杯を獲得、Jリーグも22試合の出場でしたが4位と最高の年を過ごしました。
09シーズンはチームこそJ2降格が決まるものの、初のリーグ戦全試合出場を果たします。その後広島へ完全移籍し、2年連続のリーグ全試合に出場してビスコ杯でも準優勝となりました。12シーズンまで4年連続で全試合に出場してチームのJ1初制覇に貢献しますが、クラブW杯で負傷します。しかし復帰後はリーグ最少失点でJ1連覇の原動力となりました。
14シーズンに浦和へ移り、正GKとして槙野や森脇らとの堅陣で優勝争いをリードしていたものの、G大阪との天王山以降2分1敗と失速し、このライバルに逆転優勝を許しました。16シーズンは神戸、FC東京、G大阪を下して自身2度目のリーグ杯制覇を果たします。また、2ndステージを12失点で制しますが、鹿島とのチャンピオンシップに敗れました。
17シーズンはACLで13試合ゴールを守り、10年ぶりの優勝に貢献しました。

U−18以降各年代の代表に選出され、2005年にオランダで開催されたWユースでは大熊監督の信頼を受けて4試合に出場し、ベスト16に進出しました。
2008年北京五輪ではグループリーグ敗退でしたが、全3試合ゴールを守り役割を果たすと、翌年10月8日香港戦でフル代表デビューを果たします。
2010年W杯では川口のサプライズ選出により登録メンバーから外れましたが、翌年のアジア杯では退場になった川島のバックアッパーとして2試合プレー、先発したサウジアラビア戦では完封するなど2大会ぶりの優勝に貢献しました。
2014年W杯予選はアウェーの北朝鮮戦の1試合のみに終わり、ブラジルでのコンフェデ杯とW杯本大会でも出場機会なしに終わりました。その後のアギーレ監督からも招集され、2015年アジア杯では引き続き川島の控えとなりました。
2018年W杯予選は、試合勘が不安視される川島からポジションを奪って11試合に出場。その後は川島の巻き返しや自らの不調もあり再び控えになっています。
代表記録

2007年8月22日:新規アップ 2017年12月8日更新